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    2017年 丁酉(ひのととり)年 鳥も鳴かずば撃たれまい
     
    since Oct. 13. 2003
   被災地の一日も早い復興を祈っています。

   

ひねくれおやじのページ 吉田孝発

吉田孝 プロフィール

●名前について
たいていは、「かしさん」と「た」にアクセント(高低アクセント)をつけて呼ばれることが多いが、九州では「たしさん」正しいアクセントである。
●経歴 (超簡単略歴はこちら
1950年9月10日 福岡県若松市(現北九州市)生まれ。小学校4年より高校3年まで福岡県直方市で育つ。幼小の頃より日本語を話し始める。小学生の頃よりピアノの学習をはじめる。最初は左右別々に片手で弾いていたが、高学年になると両手で弾けるようになって周囲を驚かせる。中学生になると、左右別の旋律を弾けるようになり「天才」と呼ばれる。小学校6年の頃、ウクレレやギターの弦のフレットが内側になるほど狭くなることが不思議で仕方なく、自力で音律の勉強をする。ここで勉強したことが約50年後に役に立つとは、本人は知るはずもなかった。
1969年 福岡県立鞍手高等学校卒業。広島大学教育学部中学校教員養成課程音楽専攻に奇跡的に合格し入学。この時の実技試験以上にピアノがうまく弾けたためしが後にも先にもない。
1970年 喫煙をはじめる。その後30年間、嫌煙家との軋轢に苦しむ。
1974年 広島大学教育学部中学校教員養成課程音楽専攻卒業。入学年と卒業年の計算が合わない事情についてはお察しください。
1976年 広島大学大学院教育学研究科教科教育学専攻(音楽科教育)博士課程前期修了
1976年 松山東雲短期大学助手 音楽教育の研究者として生きていくことに決める。若手研究者として将来を嘱望されていなかったので、20年くらいでやめる予定だったが、ほかに取り柄がなかったので結局40年間ダラダラと継続する。
1978年     同   講師
1982年 高知大学教育学部講師
1983年     同   助教授
1993年 国立教育研究所教科教育研究部芸術教育研究室長。あとで触れるように、2001年の省庁再編により国立教育政策研究所も改組され、芸術教育研究室も廃止となる。したがって、芸術教育研究室長という肩書きを名乗った人間は吉田一人である(だからどうした?)。
1994年 東京都北区浮間(埼京線「浮間舟渡」駅近く)に在住。研究所のある目黒まで約1時間強、研究所から住居までは4時間。夕方から深夜にかけて池袋、十条、浮間舟渡駅周辺でよくその姿を目撃された。
2000年 禁煙に成功する。それまでに吸った煙草の本数は50万本と推定され、そのまま吸い続けていれば、今頃この世に存在していないと思われる。
2001年 改組に伴い国立教育政策研究所教育課程センター基礎研究部総括研究官。このいかめしい肩書きが嫌で研究所から出たいと思うようになる。
2001年 11月より 弘前大学教育学部教授。生まれて初めて雪道で転ぶ。
2002年 生まれてはじめてフルマラソンに挑戦し完走(以後7回 完走)
2003年 サロマ100キロウルトラマラソンで完走 その後これを人生唯一の自慢にして生きている。

2009年 関西学院大学教育学部教授
2010年 お茶の水女子大学にて博士(人文科学)学位取得
2013年 高知龍馬マラソンにて8回目のフルマンソン完走。死ぬまでにあと2回フルを走りたいと思っている。
2016年 関西学院大学を惜しまれず退職し、音楽教育の世界からも退場。退職後は、阪急今津線(映画「阪急電車」で有名になった路線)の小林駅、逆瀬川駅付近の立ち飲み屋に昼間から居るところを目撃されている。
●仕事
2016年4月より無職 
●趣味(多趣味だがどれも下手の横好き)
将棋−弱い(それなりに自信を持っていたが、ネットの将棋倶楽部24でボコボコにされて落ち込んでいる)
囲碁−将棋よりもっと弱い
ランニング−おそい(10kmを50分くらい フルを4時間ちょっと(で、4時間を切 るのが目標だったが、年のため難しい状況になってきた)
酒−弱い(酒の誘惑に勝った試しがない)
●好きな言葉
孝さん、大好き!
●座右の銘
ハードルが高い時はくぐれ!


2003年6月29日 サロマ湖ウルトラ100キロマラソンにて 42.195キロ 関門を通過。この通過時間4時間10分は私の42.195キロの自己記録でもある。