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ランニング
最近、休んでいたランニングを再開した。あまりにも体重が増えすぎたためである。
ここで、復習。

体重Xキログラムの人がYキロメートル走って(歩いても同じ)消費するエネルギーはXYキロカロリー。体重70キロの人が、5キロ走れば、350キロカロリー消費することになる。

また、体脂肪は1キログラムあたり、7800キロカロリーのエネルギーをため込んでいる。したがって、350キロカロリーをすべて脂肪を使って消費した場合、0.045キログラム、つまり45グラム脂肪が減少する。しかし350キロカロリーなんておやつ程度で取り返してしまう(走ると間食がしたくなる)。実は、ランニングで体重を減らそうなんて、気の遠くなるような話なのである。

それでも、やる以外にない。自分の体質だろうが、ランニングしなければ確実に体重が増えるし、ランニングをすれば、たとえ45グラムずつでも確実に減っていく。自分でため込んでしまった脂肪だから。

| スポーツ | 08:29 AM | comments (0) |
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勧誘
研究室によくかかってくる電話に、不動産のセールスがある。マンションの経営のセールするが一番多い。ほとんどこちらの都合も聞かず一方的にまくしたてる。そのしつこさには閉口する(相手も生活がかかっているのだろう。気持ちはわかるのだが、勤務時間に大学の研究室に電話をするのはルール違反である)。

私「私は関心がありません」
相手「だから関心を持ってもらえるようにお話をしているのです」
私「関心を持ちたくもありません」
相手「そんな! それで人生楽しいのですか」
私「・・・」

押し問答したあげく、私のほうからガチャンと電話を切るのだが、自分から切ると、敗北感が残る。それで新しい手を考えた。

相手が話し始めたら、電話は切らないで受話器を自分に相手の声が聞こえないくらいはなれたところに置く。おいたまま、自分の仕事をする。「話したいなら勝手にどうぞ」である。3分くらいして受話器をとって確かめると、たいていは切れている。

相手の声を聞かないのがコツである。声を聞くと私は気がやさしいのでついつい相手の立場(会社ではなく、家族を支えている一社員としての立場)を考えて相づちを打ってしまったりするからだ。

しばらくはこの手で行くことにする。

| 日常 | 07:39 AM | comments (0) |
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志願の理由
教員採用試験の願書を出す季節である。願書にはたいてい「志願の理由」を書く欄がある。中には「教員志望の理由」と「本県志願の理由」を分けて書かせるところもある。志願の理由など書かせてどうするのだろう。

普通の人は、職業の選択肢が無限にあるわけではない。自分の能力上の制約や家庭的な制約やさまざまな社会的制約によって選択肢は大幅に狭められる(だいたい大学進学の段階で狭められる)。そして残った選択肢の中からよりましなものを選んでいるにすぎない(それでも、教師という職業が選択肢の中に残っている人は幸せではある)。このような本音は書けないから、そこに書くことは建前論でしかない。「いや、私は教師を天職と考えている」と言う人もいるかも知れないが、そんなものは錯覚にすぎない。選択肢が狭められていることに気がついてないだけである。

本県志望の理由などは、もっとくだらない。そもそも人がある県や地方と関わりあいになるのは、偶然にすぎない。そんなものに理由がつけられるわけがない。

そもそも志望の理由などによって優劣をつけられるはずがないのである。人間不本意な仕事につかなければならないことはいくらでもある。教員だけは、不本意な人がなっていけないという理由はない。教員になっても教育の仕事とは無関係なくだらない雑用が山ほどある。天職と考えていようと不本意だろうと、その仕事を一生懸命やる。それでよいではないか。

では、私はなぜ音楽教育研究などやっているのか?
音楽的才能がなかったからである! なぜか、音楽教育界の人々はこのような言い方を嫌う。
「才能がないから音楽教育」という生き方はけしからんことらしい。



♪さいた さいた チューリップの花が♪
絵ではありません。

| 教育 | 07:02 AM | comments (1) |
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観察
昨日はNTT東日本の通信障害で、夕方から夜中までインターネットが使えなかった。私は自宅のマシンをサーバーにしているので発信もできなかった。仕事(研究関係)も趣味も人とのつきあいもインターネットに依存している私としては、こうなるとすべてがお手上げである。寝るしかない。と言うことではやく寝て夜中の2時頃に起きたら復旧していた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
3年生のTuesday実習がはじまった。Tuesday実習というのは、火曜日の午後に附属学校に行って授業を観察したり(前期)、実施したりする我が学部独特のシステムである。

昨日は最初の授業観察。2時間の授業を見て、各クラス別に話し合い、児童の特徴について発表する。1回目にしてはよくできている。質問もするどいところをついている。我が弘大生もやるわいと思った。しかし、やはり学生は厳しく育てなければならない。最後に次のようなエラそうな話をした。

1.子どもについて発表する時はせめて教科と単元名くらいは言ってから発表すること。

子どもを観察すると言っても、それは授業という限定された場の子どもである。少なくとも何を学習している場面での子どもの姿なのかを最初に明らかにすることが大切である(本当は、教師のどのような働きかけに対しての活動であったのかも報告してほしいのだが、発表時間の制約がある)。

2.数(人数、回数、時間)を意識すること
「ほとんどの子どもが発言した」「一人の子どもが何度も発言した」と言うような報告ではその実態がわからない。「30名中16人が発言した」「A君は3回発言した」「1分間教室の外を見ていた」のように数で発表できるように観察しておくことが大切である。

3.子どもの具体的な姿を語ること
「生き生きとしていた」「集中していた」ではなく、生き生きとしている姿、集中している姿を、聞いた人が思い浮かべられるように報告する。そのためには目に見えた子どもの具体的な姿を語ることが大切である。


♪津軽の弘前に来て見いや♪
   けったいなよさこい

| 教育 | 08:23 AM | comments (0) |
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末期的症状
今朝の読売新聞に、第一生命のサラリーマン川柳コンクールの入賞作が出ている。
その4位は次の通り。

アレどこだ? アレをコレする あのアレだ

昨日のこと。
大学院の授業で、ある言葉をしゃべろうとしてそれがなかなか出てこない。
やっとのことで思い出したのだ。
ところが、ここに書こうとしら、その言葉が何だったのかが思い出せない。


りんご〜のはな〜びらが〜♪ チャッカチャッカチャン♪

| 日常 | 06:51 AM | comments (3) |
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母の日
今、突然気づいたのだが、昨日は母の日だったのだ。。
と言っても私の母はもう7年前に逝ってしまった。

それでも、母の日を忘れるとはかなりひどい
実は、私は本当に親不孝者だったのだ。どんなにひどい親不孝をしてきたか。とても書けない。
まるで「孝」と言う名をつけた親に反発するかのような生き方をしてきた。

名は体を表さない!

| 自分のこと | 11:31 AM | comments (0) |
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SNS
ソーシャル・ネットワーキング・サービス。何となく、むかしのパソコン通信の雰囲気がある。思いがけない人と出会うこともある。

一番大手の○○○○に、私は昨年から登録していたのだが、最近になってちょっとはまりだした。困るのは、ついついはしごをしてしまうこと。時間の無駄遣いをしてしまう。そんなゆとりはないのだが。



どんな花よりもたんぽぽの花をおくりましょう ♪ 
5/12 弘前大学藤崎農場(歩いて行きました)

| コンピュータ+インターネット | 07:34 AM | comments (2) |
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何故?


通勤途中にある学習塾の看板である。笑える。

この笑いの正体は何だろう。

| 教育 | 04:43 AM | comments (2) |
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高校野球連盟幹部
朝令暮改
辞任しないといけないのは、部長さんでなく、あんたたちでしょう。

| スポーツ | 09:43 AM | comments (1) |
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何か勘違いしているんじゃない
中日新聞の編集担当の常務が4月29日付コラムで禁煙タクシーについて否定的な意見を掲載したところ、たくさんの抗議が同社に来ているそうだ。昨日付の読売新聞によるとによると、抗議のメールや手紙が約40通届き、「喫煙を正当化するな」などの電話があったと言う。

私は、この元になっている記事を新聞記事検索システム(有料)を使って入手した。全部掲載できないのが残念だが、なかなか刺激的で面白い記事である。著者が一番言いたかったのは、次の部分だったのではないか。
私たち日本人は、かつて朝鮮半島の人々を「ニンニクくさい」といい、欧米人を「バタくさい」といって世界から友人を失ってしまった。自分たちが「魚くさい」「醤油(しょうゆ)くさい」と思われていることも知らずに、である。世の中、においはお互いさまなのだ。

たばこくさいと非難する女性は、厚化粧のくさみをご自覚だろうか。たばこの煙が健康を害することはあっても、たばこのにおいで肺がんになることはない。子供のいじめの「くさい」と同じではないか。

タクシーは公共交通機関といっても、あくまで個別選択的な乗り物である。車内でのたばこは運転手さんや同乗者の同意を得れば不特定多数の人々に迷惑をかけることはありえない。まさに私的空間なのだ。

そこへ禁煙の論理を持ち込むなら、なぜ、禁煙車を7割、喫煙車を3割など喫煙率に応じた選択肢を与えないのだろう。全車禁煙という一律主義に、スー族は本能的な危険を感じる。
良し悪しは別として、だんだん形見肩身がせまくなっていく喫煙者の本音がよくあらわれている。べつにこの程度のことに目くじらたてることはない。反対ならば、反対の意見を寄せたらよいのだ。

それを「喫煙を正当化するな」などとして、このような意見を書くこと自体を許さない風潮があることに、私は本能的な危険を感じる。こういうことをされると、私が喫煙者なら次のように反論するだろう。

正当化も何も日本国は喫煙を合法的な行為として認めているのである。喫煙は犯罪でも何でもないのである。20歳以上の成人は、とくに禁止された場所以外では誰にも遠慮することなく喫煙する権利を持っているのである。にもかかわらず、喫煙者が非喫煙者に遠慮するのは、弱者へのいたわり、優しさのあらわれである。本来なら、非喫煙者は喫煙者に対して「禁煙に協力してくれてありがとう」「気をつかってもらって申し訳ない」くらいの感謝の気持ちを持つべきなのである。

と言うのは言い過ぎとしても、今の時代の流れから言えば喫煙者の主張などしょせん「負け犬の遠吠え」にすぎない。このくらいの記事で禁煙タクシーが元にも戻るわけでもないのだ。嫌煙権論者はすでに圧倒的に勝利しているわけだから、敗者をいたわる気持ちをもつべきである。

それに本気で「喫煙を正当化するな」と言うのならば、喫煙者に言うのではなく、喫煙を正当化している国のしくみをかえるしかない。喫煙を非合法化する運動をすべきなのである。国家や地方自治体の財政の一部をたばこ税に依存している現在の行政の在り方を変える運動をするのである。そして最終的には禁煙法の制定をすすめるべきなのである。

続き▽
| 社会 | 07:36 AM | comments (0) |
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