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競争原理
また、腹が立った。

昨日、BS放送で「BSディベート」という番組を見た。論題は「どうすれば教師の質を高められるか」。内閣府が設置した規制改革・民間開放推進会議専門委員である戸田忠雄(教育アナリスト)、安念潤司(成蹊大学法科大学院教授)両氏対教育学者の佐藤学(東大大学院教授)・藤田英典(国際基督教大学教授)両氏という構図でディベートが行われていた。戸田、安念両氏が市場開放原理から、学校選択制を盛んに強調するのに対して、佐藤・藤田両氏は教育学者らしく冷静にそれに反論していた。

ディベートという割には、議論がかみあっていなかった。それは、戸田氏・安念氏の議論の仕方が粗暴きわまるものであったことにつきる(私は、佐藤氏もあまり好きじゃないのだが、戸田、安念両氏がひどすぎた)。とくに安念氏の議論はでたらめである。安念氏の主張が番組のホームページに出ている。
低品質のサービスを一律平等にユーザーに押し売りする――
こうした毛沢東主義が、日本の学校教育全体を染め抜いている。
しかし、ほとんどの商品・サービスと同じく、
教育サービスも競争によってしかその品質を向上させることはできない。
それが、一世紀にわたる共産主義の悲惨な実験が人類に与えた教訓であった。ひょっとすると、教師の質の絶対値は、
一世代前よりも向上しているのかもしれないが、
市場で供給される財の質は、この間劇的に向上したために、
教師の質の低下が指摘されるのである。
公教育システムは、競争がなかったために、
ダメ企業に典型的な症状を呈している。
まず、教育サービスという「単品」しか供給していないのに、
文科省、県教委、市町村教委という何段階もの膨大な管理部門が
現場の邪魔をしている。
しかも、これら管理部門は、いじめ問題によく表れているように、
現場に介入はするが責任は取らない。
旧日本軍では、「現場には責任だけあって権限なし」といわれたそうだが、
負ける組織には負けるだけの理由があるのである。
現場に全責任と全権限とを委ねる必要がある。
また、教育も単なるサービス業の一種だという当たり前の自覚がないから、
「親が悪い、子どもが変わった」と、「客筋」の文句ばかり並べている。
嫌だと言っている者にも無理やり来させるのが義務教育である以上、
「変な親」、「変な子」が来るのは始めから織り込み済みでなければならない。
泣き言をいうのなら、義務教育自体をやめるべきである。
子ども・保護者による学校・教師評価、学校選択制の全面的導入、
バウチャー制による予算配分(各学校が集めた生徒の頭数を基準として
予算を配分する制度)を柱とする、
ユーザーの選択の自由を最大限に尊重するシステム、
すなわち「学習者主権」に基づいて学校教育を再編し、
子供が競争に駆り立てられる仕組みから、大人たちが子供を
ハッピーにする競争に励む仕組みに切り替えなければならない。
こうした競争的環境のなかで始めて、教師の質の向上も図られるのである。
http://www.nhk.or.jp/bsdebate/0611/guest.html#annen

ばかか! こんなインチキくさい議論がディベートと言えるか。学校に競争原理を持ち込む。仮に安念氏の言うことが正しいとすれば、それが効果を及ぼすためには、教師や学校がこぞってその競争に参加し競争で勝利するために全力をあげることが条件になる。競争に全力をあげさせるには賞品が必要である。そして当然のことながら競争の賞品には限りがある。賞品を増やすには競争への参加賞を削減しなければならない。参加賞さえもらえない人ができれば、敗者はますます落ち込んでいく。当然、学校間に大きな格差ができる。地域間にも格差が拡がることになる。教師も学校も勝ち組になるために必死になるしかない。教師の世界にも「自分だけが生き残れば良い」というエゴが拡がっていく。これで子どもが「ハッピー」になるのか(たぶん、一部の子どもだけが「ハッピー」になれるのだろう。「ハッピー」などという言葉がまず怪しげである)。

日本の教育は画一的・一律的と言われながらも、国が教育全体に責任を持つことで一定の質を維持して来た。「低品質」と言うが、本当に低品質なのか。「いじめ」問題に見られるさまざまな教育問題は、この一律的な教育がもたらしたものなのか。それはそれで研究が必要だ。しかし、競争原理を持ち込めばそれらが解決するのか。

競争原理は大学教育にも拡がってきている。法人化は大学間に競争をもたらした。大学内では教員評価によって教員同士の競争が導入されようとしている。私が再三再四ここに書いている「学生による授業評価」がこの教員評価に利用されようとしている。今の国立大学が法人化以前よりよくなった思っている人がどれだけいるか。

今、安倍内閣が国会を通過させよとしている教育基本法の改「正」案では、「愛国心」が強調されている。「愛国」とは国という自分の所属する集団、つまり公という横に広がる精神の在り方を言う。家族を愛し、友人を愛し、学校や地域の人々を愛し、国を愛し、力を合わせて美しい国をつくっていく。こういう愛国心が自然に生まれて来るような教育にすることがねらいではないのか。そう言う内閣が、人間のエゴに基いて教育界に市場原理を持ち込もうとする人を政府の機関に採用し、そのような方向で教育改革を進めようとする。一体どちらが本当の姿か。

「美しい国」というスローガンは、エゴの蔓延する「汚らしい国」をつくる政策を覆い隠すための詐術に過ぎないのか。

| 教育 | 06:12 AM | comments (12) |
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吉田先生,私も見ていました。本当に腹立たしかった!あの2人が内閣府が設置した規制改革・民間開放推進会議専門委員であることへの危惧を感じます。あんなとんでもない議論をする人たち(特に安念氏)によって教育の方向性が決められていくとしたら末恐ろしいです。安念氏は,人間不信の塊のような人でした。
私は,学校選択制,教育バウチャー反対です。
学習者主権というが,保護者に阿る学校になっていくのではという,危惧があります。学力状況調査の平均等の目に見えるものだけで,学校が評価されては困ったものです。目に見えない教育の成果も含めて考えてほしいものです。地域と学校の結びつきも弱くなるでしょう。おらほの学校意識が無くなり,地域も学校も荒廃していくように思えてなりません。
| 佐藤 崇 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | K9sgoIi2 |

佐藤先生

私も腹立たしかったのですが、今考えて見ると、安念氏のおかげで、賢明な視聴者は「規制緩和」の主張がいかに底の浅いものかがわかって、良かったかも知れないと思っています。そういう意味では安念氏に拍手!
| 吉田孝 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | d2tgLU0c |

あまり腹が立ったもので,しばし眠れませんでした。
なるほど!!多くの視聴者は,はらわたが煮えくりかえる思いで見ていたと思います。それも通り越して,あきれたという感じでした。
吉田先生のように,とらえると効果大ですね。
| 佐藤 崇 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | Aq0Ta37Y |

残念ながら,視聴者の多くは安念氏の主張にわが意を得たりと拍手を送っていると思います。むしろ,これが国民を代表する声だと考えたほうがいいのかもしれません。
しかし,彼らの最大の過ちは「学校には競争がない」という前提に立っていることです。どんな社会にも自然発生的な競争があり,それは子ども社会も教員社会も例外ではありません。
そういった多様な競争のありようを無視して,学校に画一的な市場競争の原理を押し付けようという考えは間違っています。本来,競争は「するもの」であって,強制的に「させられるもの」ではないと思います。
| 北山敦康 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | lani7NNs |

北山先生、冷静ですね。

> 残念ながら,視聴者の多くは安念氏の主張にわが意を得たりと拍手を送っていると思います。

そんな人もいるでしょう。人によって受け取り方は違うでしょう。ただ、あの番組での発言は常軌を逸していたという気がします。

> どんな社会にも自然発生的な競争があり,それは子ども社会も教員社会も例外ではありません。

それが高じていけば、当然のことながら大きな格差が生じてきます。だからこそ、そうならないために行政が何らかの措置を取る必要があるのです。
それを、「教育権の保障」ととるか「国家による教育への介入」ととるか。
| 吉田孝 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | IjPo0F8c |

学校に「商品」とか「顧客」といった経済用語が似合わないと思うのは我々教育関係者だけで,一般の人々には「競争原理の導入」は新鮮な感動をもって迎えられていると思います。これも「小泉効果」のひとつでしょう。
これから,学校長に銀行の副頭取が任用されるというような事例が増えてくると思います。こちらも教頭を銀行に送り込んで金融破綻でも起こしてやりますか?(って冗談言ってる場合じゃないか。)
| 北山敦康 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | UuxNvXI6 |

> 学校に「商品」とか「顧客」といった経済用語が似合わないと思うのは我々教育関係者だけで,

大学にはだいぶ増えてきましたね。
ユーザー、サービスなどと言う言葉がかなり一般的に使われます。

我が学長は、大学案内で、「弘大品質」と言うことばを使っています。(少し意味が違いますが)
http://www4.d-pam.com/fileRoot/fp/4/0/400055/DigitalAlbumRoot/060807182007/default1.html
| 吉田孝 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | d2tgLU0c |

あら,教頭のジョークには反応してくれないんですか?
久々にいい出来だと思ったのですが。(^^ゞ
| 北山敦康 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | UuxNvXI6 |

> あら,教頭のジョークには反応してくれないんですか?

リアルすぎて、笑えなかったのです(^^;
| 吉田孝 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | IjPo0F8c |

私が行ってきますか。金融破綻必定。(一応教頭やってます。)
| 佐藤 崇 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | 6R0a/x5c |

> 私が行ってきますか。金融破綻必定。(一応教頭やってます。)

それはまた,リアルですね。ま,ジョークですから。(^_^;)
このジョークは適宜「校長」に入れ替えて使ってください。
| 北山敦康 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | UuxNvXI6 |

ある方から、次のようなメールをいただきました。

> HPでの北山氏と佐藤氏のコメント、
> いつも笑わせていただいています。
> 流石、素晴らしい友人をお持ちで!

はい、いつもありがとうございます。
| 吉田孝 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | d2tgLU0c |











 
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