2008,03,04, Tuesday
万年筆がほしい
私は、文章を書くときは最初からワープロに打ちする。
論文を書く場合もそうである。もう20年以上、ずっとそうして来た。 もう、手で文字を書くことがほとんどない。私はとりわけ悪字だから、ワープロにはすぐに飛びついた。(ついでに言えば、ワープロが出る前は和文タイプライターを使っていた) しかし、どうもそれではだめなようだ。 軽いものならそれですむ。しかし、ワープロで打った文書にはどうも思考のあとがない。 どんなに文を推敲しても、しょせんワープロで打った文章だというのはのこる。 文を打つというだけで、考えているつもりになっているだけなのかも知れない。脳みその大半が知らず知らずのうちに「入力→変換」の作業に使われているのかもしれない。 私の親しいある人は、今でもまず手で下書きをし、文章を推敲してからワープロ(コンピュータ)に向かうそうだ。そもそもワープロ打ちが苦手なせいらしいのだが、しかしその文には思考のあとがあるし、心があらわれているような気がする。考えるというプロセスと入力するというプロセスを分けるべきなのかも知れない。 そういえば、昔尊敬していたF先生は原稿が手書きだった。 音楽教育界の重鎮の先生もそうだった。 もうおそいかも知れないが、文章を書くスタイルをかえたほうがよいのかも知れない。 まず、万年筆でも買うことにするか(もう、30年ほど持ったことがない)。 実は万年筆がほしい。 万年筆、おすすめは? |
コメント
ご無沙汰しております。昨年は時々お邪魔していました。
今年も宜しくお願いいたします。(大変遅くなりましたが…) ワープロの件ですが、私は一概にそうばかりとも言えないのではないかと 思っています。 ワープロでものを書くということは、普通たくさんの指を使います。 ペンでものをかく場合の右手首に限定された運動より数倍の指の運動になります。 これはペンの場合より多くの脳の広いエリアを刺激するものと思われます。 脳梗塞などで脳の障害を負った場合にも指の運動でリハビリをすることにより、 脳の広い範囲に残された健常の神経細胞を活性化させます。 指の運動が脳に良い影響を与えないとは思えません。 ただ、ペンでものを書く時とワープロの時との違和感はあると思います。 和室でばかりものを書いていた人が、洋室では筆が運ばないということはあると思います。 しかしそれはやがて人になじみ、そこから新しい文章や考え方が生まれるのかもしれないと思うのですが……。 ただ今は文化の変わる過渡期なだけと思うのですが…。 (歩きながら原稿を考えると、足の刺激が脳に影響し良いことが浮かぶというのに似ている考えです) 大変、失礼しました。
| 北村1204 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | LEYcdXYo |
もちろん、個人によって違いがあると思うのですが。
ただ、ワープロの場合・・・ 例えば「思考」という言葉について思考しようとした時、 先ず S H I K O U [space]と打ちます。 すると 施行、指向、嗜好、試行、歯垢、志向、私行、思考・・・などが出てきて そのなかから選びます。時間が短いから気づかないだけですが、 ここまでだけでもそうとう変なことをしているような気がします。 私は、このへんが不健康な気がして仕方がないのです
| 吉田 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | d2tgLU0c |
私も、万年筆を使わなくなって久しいですが、昔はペリカンを愛用していました。
そのペリカンがペリカーノジュニアなる子供用の廉価な万年筆を作っているので、インクの色別に何本か揃えようかな、などと目論んでいるところでした。 ところで、私は楽譜はすべて手書きです。原則として定規も使いません。
| 石原真 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | 69Ga3mBY |
すみません、変換が問題なのですね。
ワープロは表音文字の文化の中で生まれた入力方法ですから、……。 これはどうしようもない問題ですね。 表意文字用の入力方法(想像できませんが) とか音声入力とか……、 英語なら変換しなくて良いので、 いっそ英語で文章を書けばいいのでしょうけど……、 それはまた別の意味で大変ですしね。 ちょっとずれたコメントを入れてしまい、 申し訳ありませんでした。 また、宜しくお願いします。
| 北村1204 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | Vw9QjSAA |
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