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吉田松陰物語
また東京にいるのだ。昨日はあるパーティーに出て、昔の職場の人たちと旧交をあたためた。楽しかった。
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一昨日の記事

司馬遼太郎『世に棲む日々』(文春文庫・全五冊・1冊552円)

この第1冊から第2冊の途中までは吉田松陰が主人公である。この本の最初に寅次郎(後の松陰)が少年時代におじの玉木文之進に学問でしごかれる場面が出てくる。
文之進が畑仕事をする。松陰はあぜに腰をおろして本をひらいている。文之進が諳(そらん)んじてゆく。そのあと松陰がひとりで朗読する。

ところが・・・
ある夏のことである。その日格別に熱く、野は燃えるようであった。暑い日は松陰は大きな百姓笠をかぶらされた。この日もそうであったが、しかし暑さで顔じゆうが汗で濡れ、その汗のべばりに蠅がたかってたまらなくかゆかった。松陰はつい手をあげて掻いた。それが文之進の目にとまった。折檻がはじまった。その日の折檻はとくにすさまじく、

「それでも侍の子か」

と声を上げるなり松陰をなぐりたおし、起きあがるとまたなぐり、ついに庭の前の崖にむかってつきとばした。松陰は崖からころがりおち、切り株に横腹を打って気絶した。

なぜ、これほどまでやるのか。
玉木文之進によれば、侍の定義は公のためにつくすものであるという以外にない、ということが持説であり、極端に私情を廃した。学問を学ぶことは公のためにつくす自分をつくるためであり、そのため読書中に頬のかゆさを掻くということすら私情である、というのである。

「痒みは私(わたくし)。掻くことは私の満足。それを許せば長じて人の世に出たとき私利私欲をはかる人間になる。だからなぐるのだ」


もちろん小説である。どれだけ本当の話かわからない。また、このようなスパルタ式が良いわけではないし、たいていは意図したこととは正反対の結果になるものである。しかし、それでもこの文之進の言葉は教育にとって重要なことを言っていると「私は」思うのである。

ところで、吉田松陰は安政の大獄で志半ばで刑死(享年29歳)するのだが、松陰の意思を継いだのが高杉晋作である。この吉田松陰と高杉晋作・・私には少しばかり因縁がある。

| | 07:40 AM | comments (4) |
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あれ? 先生の高校生時代の賢そうにみえる「写真」は、どこに? あれ、個人的には結構好きでしたよ。人間って「ものすごく変化するんだあ」ということがよくわかる写真でしたので(笑)。
| 田中健次 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | Jb2CyyPw |

なんだか,あら探しをする悪い癖がついてしまった。(^^;)

> 松陰の意志を次いだのが高杉晋作である。
→松陰の遺志を継いだのが高杉晋作である。
| 北山敦康 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | UuxNvXI6 |

北山先生 いつもどうも

ところで31度もあったとか、どうすごされましたか。
| 吉田孝 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | IjPo0F8c |

すご〜く暑かったです。フェーン現象だとか。昨日は新学期に備えて研究室の大掃除をしました。学生たちが手伝ってくれたので助かりました。それにしても4月1日に真夏日とは,まるでエイプリルフールのような話ですね。
| 北山敦康 | URL | | 1970/01/01 09:00 AM | UuxNvXI6 |











 
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