2007,03,01, Thursday
難しい
参考文献として目を通しておこうと思って開いた本の冒頭に、次の文があった。(出典は略す)
音楽文化の担い手が教会と宮廷、サロンから市民の手に移行する段階では、音楽は民衆教化の手段として機能するばかりではなく、人間諸個人の主体的な表現および鑑賞として、つまり音の芸術として捉え直され、市民一般にわかり易くアイデンティティの意識を彷彿とさせる内容と形式をそなえた音楽の創造と展開が期待されてくる。いいかえると、従前の音楽を整理し簡潔にして、民衆的な要素を取り入れる方法の模索がなされるようになる。また他方、市民の教育要求の高まりとともに、子どものための音楽に対する意識が覚醒され、その固有の見解と、理論、そして実践への取り組みがなされるにいたる。わからない。何がわからないかと言うと、どういう風に脳みそを動かすとこのような文章が書けるのかがわからない。つまりこの著者の脳みその働きに私はついていけないのである。 私は、かつて(若い頃)は、この著者の文についていけないのは私の脳みその働きが悪い(つまり頭が悪い)か、まだこのような文についていくだけの十分な知識が足りないからだと思っていた。だから、一生懸命勉強し研究すればいつかついていけると思っていた。また自分もいつかこんな文が書きたいと思った。それから、一生懸命とは言えないがそれなりに勉強も研究もしてきた。 しかし、やはりついていけなかった。やはりなにも理解できない。もちろん何となくは分かるのだが、それならもっと別の言い方があるのだろう。何となく私がわかる程度のことを言いたいのなら、これほど難しく書く必要はないはずである。 少なくとも私はこのような文章はかかない。どんなに格調が低くても、できるだけ多くの人にわかるように文を書いているつもりである。 |