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授業研究の無駄
 先日、小学校の授業研究会に出席させていただいた。音楽の授業を1時間見て、そのあと全体でその授業について話し合う会だった。
 数曲の輪唱教材を歌う授業で、「お互いに聴き合って歌う」ことを目標にした授業であった。子どもたちの歌声を聴く限り、子どもたちの声は確実によくなっていったし、個人差はあるが目標は全体として達成されていた。
 ところが、その後の研究会では、実に多くの意見が出た。しかし、そこで出た意見は本当に授業を見ていたのかどうか、子どもたちの歌声を聴いていたのかどうか、疑わしいものばかりだった。少なくとも、教師の働きかけや子どもの歌声や輪唱の響きの美しさなどに関するは発言は一つもなかったのである。
 出た意見を一つだけ例を示す。例えば次のような意見である。
 「子どもに発声のお手本となるようなビデオを見せたらどうか」
 この意見は、見方を変えればすごいことを言っているのである。
 授業者の先生は、教材提示の仕方として、自分で子どもに歌って聴かせるという方法を選ばれたのである。お手本を見せろと言うことは、教師が自分で歌って聴かせるという方法に対してケチを付けているのである。少なくともその教師が歌って聴かせるよりお手本のビデオを見せるほうが効果的だと言っていることになる。
 私はたまらなくなって、発言した先生に尋ねた。
 「そんなビデオはどこにあるのですか」
 答えはなかった。どこかにあるのかもしれないが、私は知らない。驚くべきことに発言した先生も知らないらしい。当然自分がやったこともないのである。自分も知らないし、やったこともないことをなぜ人に勧められるのか。人にこうすればよいと意見をするのなら、すくなくとも存在くらいは示すべきである。「勉強しなさい」と言うのなら、読むべき本を示すべきなのと同じである。推測だが、こういう発言をする人は、今まで音楽の授業にかかわる本を1冊も読んだことがないのである。
 小学校や中学校の授業研究に行くと、授業者の先生の授業の意図や教育内容・教材を無視し、子どもの一つ一つの事実も無視して、上のような一般論を思いつきで言う人が何人かいる。こんなことを繰り返している限り、授業研究は発展しない。というより研究にもならない。

| 教育 | 03:54 PM | comments (5) |
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くさーーーーー!
いやいや、噂には聞いていたがこんなにくさいとは。

東京に出張した折に、帰りは上野から新幹線に乗った。少しだけ時間があったので、アメ横でくさやを買って帰った。深い理由はない。老い先短いので、生きてるうちにいろいろなものを食べておきたいと思っただけだ。しかし、これが本当にくさいのだ。

真空パックになっているのだが、それでも少し臭いがもれる。新幹線の中は暖かいので、もう少し時間がたてば少し危なかったかもしれない。家に帰ってさっそく封を開いたが、その瞬間に嫌な臭いが。換気扇をつけて焼いてみると家中にウ○コの腐ったような臭いが拡がった。臭いのをがまんして身をほぐして食べた。味はなかなかのもので酒にも良く合った。

しかし今度は食べたあとの臭いの処理がたいへんである。食べたあとの骨、入っていたビニール、焼いた網、少しの時間入れておいた冷蔵庫、食べた時のお皿、そして絨毯、カーテン、こたつ布団、みんなくさい。ファブリーズをだいぶ撒いたがそれでも臭いがとれない。一晩たったがまだかすかに臭う。

みなさん、くさやを食べるなら、屋外の人里はなれたところで調理して食べましょう。
ご近所の方、いやな臭いがしたらそれは私のせいです。ごめんなさい。

| 日常 | 08:09 AM | comments (2) |
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