2007,01,12, Friday
寒い話
その1
「おれ、昨日シュークリーム食べたんだ」 「だいじょうぶか?」 「ふじや」 その2 文部科学大臣の記者会見(就任時) 「文部科学大臣、今のお気持ちは?」 「いい気分ねえ」 その3 文部科学大臣の記者会見(最近) 「文部科学大臣、今回の事務所の会計問題について、今の気持ちをきかせてください」 「言う気分、ねえ!」 |
2007,01,12, Friday
伝統音楽
伝統音楽の実践が重視されるようになってきた。いろいろ問題はあるが、大きくみればとても良いことである。しかしこうした実践が行われると、水をさす人間が必ずあらわれる。「今の子どもは、伝統音楽を平均律で歌う」とか、「和楽器と洋楽器は音律が違うのにいっしょに合わせるのはおかしい」とか言ってケチをつける。
自分の知っている人の範囲でしか言えないが、だいたいこういうことを言う人は、最初に西洋音楽から入って、あとから日本音楽の勉強をはじめた人の中に多い。西洋音楽を基準にして、日本の伝統音楽の特徴を語り、日本の伝統と西洋音楽の違いを強調するわけである。実は、こういう人たちは伝統音楽に熱心なように見えて、逆に西洋音楽の考え方から抜け切れていないのではないだろうか。 それに比べると、最初から日本音楽をやっている人(例えば箏楽家)などは、とてもおおらかである。そんな違いなどあまり気にせず、むしろ自分の方から合わせていこうという姿勢さえ見られる。 日本人には、西洋音楽や西洋音楽の理論が導入される明治以前から、かなり水準の高い音律論が存在した。例えば江戸時代の17世紀には、すでに和算によって2の12乗根を求め、平均律を発見していた人さえいるのである(「律原発揮」)。しかし、そういう理論は理論として、実際の音楽では理論には固執せず、それぞれの音楽に応じてファジーにやってきたというのが日本の音楽なのではないだろうか。 |