2006,12,21, Thursday
破滅的人生
ちょっとだけあこがれるのだが、私にはできない。
団鬼六『快楽なくして何が人生』(幻冬社新書・720円) 鬼六(おにろく)氏は75歳、末期の腎不全だが延命策である人工透析を拒否する。その理由は次のようなことである。 人口透析というたら、週三回病院に通って一回に四時間もかけて体から血を抜き取って入れ替えするんでしょう。透析を始めたら、一生つづけないかんそうで、何や、人造人間に改造されるみたいで、僕、そんなのいやです。快楽を追求する人生を送ってきた著者が、死を目前にしてさらに破滅的快楽の境地へ向かう。 快楽の代償は破滅ということになるのだろうが、もう破滅してもよいと思うほどの快楽を味わったことがない。凡人とはそういうものである。実は鬼六氏も同じなのではないか。これだけのことができるのは、鬼六氏にだって一日の何時間かは原稿用紙に向かっていた日々(ご存じの通り、あれを書いていたのだ)があったのだ。いろいろな場面で人を助けている(この本ではこれらについて何も触れていない)。だから、だれも鬼六氏の行動をとがめる人はいない。それどころが、氏をほめる人が各界にたくさんいる。鬼六氏は破滅などしていない。本当の破滅は、命を投げ出すことによって達成できるのかも知れない。ただし75歳まで生きれば、それすら破滅とは言えない。 類書がある。 藤沢秀行『野垂れ死に』(新潮新書・700円・2005年刊) 80歳の囲碁名誉棋聖である。こちらはハチャメチャな行動で人に迷惑をかけまくってきた。それでも名誉ある人生を送っている。それに80歳では野垂れ死には無理だ。 |