2006,11,13, Monday
合唱教育
中央教育審議会教育課程部会に、芸術専門部会から上がってきた文書、「音楽科,芸術科(音楽)の現状と課題,改善の方向性(検討素案)」には、今後の課題としてとして次のようなことが指摘されている。
歌唱の活動に偏る傾向があり,表現の他の分野と鑑賞の学習が十分でない状況が見受けられる。特に,創作と鑑賞の充実が求められている。私の持論としては、一つの活動に偏ることに特に問題があるとは思っていない。むしろそのほうが良いと思うことさえる。一つの活動を徹底的にやって身につけた力は、たいていは他に転移するからだ。例えば、私の同僚である教科科目の先生方は、一つのことを徹底的に極めた人たちだが、それだけではなく、音楽全般について幅広い知見を持っている。一つのことをやれば、それはかならず他のことに広がっていくのである。一点突破全面展開である。 しかし、合唱に関してはそうでないことが多いらしい。例えば、中学校には1年間合唱だけをやっているというような実践があるそうである。そして、それはすべて校内合唱コンクールに収束していくらしい。これは教え子の高校教師から聞いた話だが、そういう中学校から来た生徒は、「音楽」と言えば、もう合唱の話しかなく、それも特定の合唱曲(たいていは校内合唱コンクールなどの定番の曲)しか、言葉に出てこないそうである。ようするに、何も転移せず、そこにとどまったままになっているのである。それどころか、むしろ音楽に対する「かなくなさ」さえ生み出してしまったのである。 部活動など、自分で選択できる活動なら偏ってもよいが、授業のような強制をともなう活動の中で特定の活動に偏るのはやはり問題があると言わなければならないだろう。少なくとも、教師は幅広い音楽の技能や音楽に対する知見を持った上で、どのような活動に重点を置くかを決定すべきである。「はじめに合唱ありき」ではいけない。 (補足1) ある民間教育研究団体に所属する音楽の先生は、別の研究会の席で他の人がどんな話をしても無関心なのに、ある特定の作曲家の名前(例えば「林光」)が出てきた時だけ、ぱっと顔をあげて目を輝かせていた。とても印象的だったので、よく覚えている。この団体の場合、先生自体が合唱(と言ってもほとんど斉唱)にしか関心がないようだ。もちろん、専門部会が「偏っている」としたのは、この団体のことを言っている訳ではない。 (別件) 昨日、ブログランキングのことを書いたら、急激に票数が増えてランキングが一気に50位以内に入った。深謝! |