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ひねくれ教育日誌::教育+音楽


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翼なんかいらない
授業で「翼をください」(山上路夫作詞・村井邦彦作詞)を大学生と歌った。この歌を知らない大学生はいないようだ。嫌いな曲ではないし子どもたちにも人気がある。しかしこの曲が教材になっていることに昔からどこかに違和感を感じてきた。もう30年以上も小中学生に歌われてきたが、もともとは「赤い鳥」というフォークグループが歌っていた曲である。

おとなが歌っているのはまだいいが、子どもが歌うとおかしい。願いごとは「翼がほしい」、そして「悲しみのない自由な空へ翼はためかせ行きたい」。もしそんな気持ちをいつも抱いている子どもがいたとすればその子は不幸である。子どもにそんな気持ちを味わわせてはいけない。

いや、子どもたちは自分自身はそうは思わなくても、そのような気持ちを抱いている人がいることを知って、その人々にシンパシーを感じているのだとも言えるかもしれない。しかし、子どもにそのようなシンパシーを感じさせてもいけない。絵空事ではなく、現実としっかり向き合って生きる子どもに育ってほしい。

などと考えてみたが、とりこし苦労のようだ。そもそも「悲しみのない自由な空へ」などという言葉の意味を本当に考えて歌っている人など、教師にも子どもにもいない。ちょっぴり甘ったれた歌詞とメロディーとコード進行に酔っているいるだけだ。それはそれでまた問題である。

この歌を聴いたり歌ったりすると、小中学校の音楽教育は、もう30年ほど何もかわっていないような気がする。小中学校で歌われている歌は、共通教材をのぞけばほとんどがこの「翼をください」調合唱曲である。子どもたちの精神も音楽的感覚も甘やかされている。

ついでに、私の精神も音楽的感覚も。こういう曲を教材にしているととても楽である。

| 教育+音楽 | 06:20 PM | comments (2) |
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日本音楽教育学会
昨日午後の二つの全体企画で、大会が無事終了した。

全体企画のIは国立音楽大学の遠山文吉先生の講演で「子どもの音楽療法〜音楽療法と音楽教育の接点〜」。

私は「音楽療法」という分野が、非常に苦手である。それ以上に、「音楽療法と音楽教育は対立する」とさえ思ってきた。というのは、音楽教育は音楽そのもの価値を重視し、音楽そのものを教えるのが音楽教育だと考えてきたからだ(これはかなり極端ないい方をしているのだが・・・)。だから、音楽を音楽以外のことに理容利用するのは音楽教育ではない。したがって、「音楽の機能を利用する」音楽療法は(それ自体を否定するものではないし、その世界に対する畏敬の念を持ちつつ)音楽教育とは対立する存在であった。

しかし、昨日の遠山先生の話で、少しふっきれたような気がする。個人研究のT先生の発表を聞いたせいもある。その意味で、研究面でも非常に収穫があった。

全体企画IIの小原孝氏の「音楽の様式と表現 〜小原流 〈ピアノよ歌え演奏法〉〜」。
これは、もう言葉で言うことは何もない。とにかく楽しかった。

というわけで、疲れも残っているが、本当に楽しい大会だった。
関係の皆さん、本当にありがとうございました。

| 教育+音楽 | 10:07 PM | comments (0) |
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日本音楽教育学会
昨日・本日と日本音楽教育学会第39回大会(於 国立音楽大学)である。昨日はパネルディスカッション形式の企画でパネラーをつとめたのだが、少し損(?)な役回りだった。まあ、しかたがないのだが。

それにしても、行き届いて気持ちのよい大会である。開催校や関係の先生方、学生・院生の献身的な働きによって、非常にスムーズに進行している。昨晩の懇親会もそのあとの二次会も楽しかった。深謝!

今日は夕方まで大会で、もう一泊して明日ゆっくり弘前に戻るつもり。

| 教育+音楽 | 04:43 AM | comments (2) |
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平成の歌が歌えない
最近なぜか、カラオケをよくやる。もちろんカラオケボックスではなく居酒屋である。
演歌も歌うし、サザンも歌う。かなりの曲数歌ったのだが、自分が歌う歌について自己分析してちょっと愕然とした。

そう、平成に生まれた歌は一曲も歌えないのである。
サザンでも歌えるのは、「チャコの海岸物語」「愛しのエリー」・・・
ニューミュージックと呼ばれていた時代の歌は大丈夫だが、J-POP はまったくだめなのだ。

花屋の店先に並んだ ♪
このフレーズを歌って、若い人に「合ってる?」と聞くと、「違う、違う」と言われる。おそらく、いくら練習してもちゃんと歌えるようにならないような気がする。私の音楽の学習能力は、20年間止まったままだ。

歳を取ったら新しい歌が歌えなくなる。これは世代による音楽の好みとか感覚の問題ではないような気がする。そもそも歳をとると新しい音楽を受容する意欲がなくなるのが一番の理由のようだ。また、学習能力も急速に衰えてくる。16小節くらいの歌を聴いて覚えるという実験をすれば、年齢差がはっきりと出るだろう。実験研究をしている研究者の方! どこかに実験データありませんか?

桑田佳祐、矢沢永吉、小田和正・・・。みんな私と同じ世代なのだが、「昔の名前」ではなく、今の若い人たちにも支持される音楽をどんどんつくっている。好き嫌いは別にして、やっぱりこのオジさんたちはすごいとも思う。

ただ、実はこの人たちにしても、音楽のスタイルがそれほど変わっているいるわけではない。ある意味では、同じ曲を何度もつくり直しているだけなのだ。そのちょっとした変化でも私のようのような普通(以下?)のオヤジにはついていけないのである。

そして「別についていけなくてもいいじゃん!」と居直るのがオヤジのオヤジたる所以なのである。

| 教育+音楽 | 07:19 AM | comments (2) |
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授業参観
昨日は、小学校4年の授業を参観した。リコーダーを中心とした授業だった。
リコーダーの授業を観るとき、私はまず子どもたちの手に注目する。
左右が逆手になっていないかどうかである。
4年生になって逆手の子が一人でもいたら、もうその授業はあまり期待できない。
(もちろん子どもの側に特別な理由がある場合は別である)
3人以上いたら、もう帰ったほうが良い(観る価値がない)。

では、昨日の授業はどうだったか。
そこは、我が附属小の先生だ。逆手の子は0だった。この先生には、子どもがよく見えている。期待通り、とてもよい授業だった。

| 教育+音楽 | 12:02 AM | comments (0) |
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学習指導要領について
2月16日の記事で次のように書いた。

2 共通事項に「間(ま)」「序破急」 この概念を中学生に理解させるのはかなり難しい。感じさせるのはもっと難しいかも知れない。どのような授業をづくりをすればよいのか。想像がつかない。


この記事を読むとまるで茶化しているように思えたかもしれない。しかし、私は茶化しているのでも批判しているのでもない。ただ、必要な概念だが、具体的にどのような教材を使って、どのように認識させていくのか、なかなか難しいということを言いたかったのである。

もちろん、今後研究をしていきたいと思う。

ただし、これが批判か茶化しのようにとられる方があったとすれば、関係者に申し訳ない。
偶然だが、ある大学院生が「序破急」を理解させるレポートに取り組んだのだが、それが非常に難しかったと言うことがあったばかりで、そのあとすぐこの「序破急」が出てきたので、このような表現になってしまった。

| 教育+音楽 | 01:27 PM | comments (0) |
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テクスチュア
新しい中学校学習指導要領の案で「テクスチュア」(Texture)と言う言葉が使われている。
無理に訳せば、「織地」ということになる。いろいろな色、太さの、形(?)の糸を織り込んでいってきる織物の模様である。

テクスチュアは和声音楽にも多声音楽に対応できる。もちろん日本音楽にも対応できるのだが、もうちょっと良い日本語はないだろうか。小学校では「音の重なり」である。

ただTextureには「きめ」と意味もある。同僚のI氏は「肌理」と言うことばをよく使っている。少しニュアンスが違うか。

もう少し慎重な議論が必要かも知れない。

| 教育+音楽 | 12:28 PM | comments (1) |
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実践報告
日本音楽教育学会大会での研究発表で感じたこと。

最近は小、中、高等学校の先生が自分の授業実践を事例にした研究発表が増えている。これを「実践報告」と呼んでおくことにしよう(抵抗はあるが、他に言葉が見あたらない)。このような「実践報告」が増加していることはとても良いことである。これらの実践報告をどう評価すべきなのか。まだ、頭の中は整理されていないが、大会中に考えたことを忘れないうちに書いておく。

実践報告に対するフロアからの第一声のほとんどは、「とてもすばらしい実践でした」と言う評価である。今回も何度も聞いた。実践報告に対してこのような評価をくだすことは、厳密に言えば誤っている。理由は2つである。

(1)学会での実践報告は「実践報告」とは言っても、研究の成果の発表であって、実践の発表ではない。自分の実践を取り上げるにしても、それはたまたま「実践者」と「研究者」が同一人物であったに過ぎない。あくまでも研究者としての活動を評価すべきである。

(2)そもそも実践報告から、実践を評価することは不可能なのである。実践報告は「実践」そのものではない。つまり、自分の実践についての報告であっても、それは報告者の頭の中で再構成された実践なのである。

授業実践は、教師が何らかの意図を持って行うものだが、授業の結果には教師の意図が反映されるだけでなく、教師が意図しなかったことも大きく反映される。S氏はこれを「潜在的カリキュラム」と呼んでいた。「隠れたカリキュラム」と呼ばれることもある。一般的に実践者と研究者が同一人物である場合、そのような隠れたカリキュラムは実践報告には現れにくい。少なくとも実践を評価するならば、このような隠れたカリキュラムも含めてなされるべきである(「実践報告」とは別の研究手法が必要である)。

実践報告は実践そのものではない。それは、結局のところはその自分の実践を素材にした「実践について思想」の報告である(たとえ事実だけを取り出して記述したように見えても、その事実を取り出したこと自体が思想の表明でもある)。したがって、実践研究の評価は、その思想がすぐれたものであるどうか、つまり他の実践を変革するような力があるかどうかについてなされるべきである。

もちろんすぐれた思想を発表をしている発表者はすぐれた実践もしているだろうと推測することはできる(そうだろうと期待したい)。逆にあきらかに、この発表者の授業はつまらないだろうと推測できるものもある(例えば、発表の仕方のつまらない人の授業はきっとつまらないはずだと推測する)。しかし、あくまでも推測である。推測で評価してはいけない。(大学に所属する研究者は、このような意味では私も含めて概して傲慢である。禁欲しなければならない)。

一方で、「実践報告は実践の事実の報告なのだから、評価をしていけない」という意見もあるそうだ。もちろん実践報告から「実践」を評価することはできないし、してはいけない。しかし、その実践を通して表明されている「実践についての思想」は当然評価できるはずである。もし「実践報告を評価してはいけない」とすれば、学会誌に投稿されてきた実践報告はすべて掲載しなければならなくなる。
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とは言うものの、やっぱり自分が発表しないのに大会に参加してもつまらない。
前会長のM氏は、大会では必ず研究発表してきたと懇親会のあいさつで述べられていた。これは見習わなくっちゃ。

| 教育+音楽 | 04:04 AM | comments (0) |
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音楽の授業時数
次の教育課程の方向を示す中央教育審議会教育課程部会の中間まとめが了承された。それによると、小・中学校の音楽の授業時間は現状維持となった。やれやれと言ったところであるが、安心してはいられない。

前回の改訂(2002年完全実施)では、総合的な学習の時間の新設や全時間数の削減によって、音楽の授業時間数は大幅に削減されたのだ。今回の改訂で全授業時間数は増加するが、それは、いわゆる国、社、算(数)、理、体(保体)、英にまわされた。これは相対的見れば削減である。少なくとも、前々回の改訂時にもどしそこを基準に、すべての教科の授業時間数について検討すべきではなかったのか。音楽や図工(美術)の時間数に関しては、検討したあともない。

| 教育+音楽 | 09:30 AM | comments (1) |
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宣伝(講演)
自己宣伝です。音楽学習学会と言う学会で講演をします。

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音楽学習学会第3回研究発表会
講演「教育課程・学習指導要領と音楽学習」
講演者 弘前大学教育学部 吉田 孝
2007年8月21日(火曜日)10時30分〜12時
場 所 埼玉大学総合研究棟シアター教室
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現在、中教審の専門部会で議論されている方向性について、自分の考え方を交えつつお話をさせていただきます。

研究発表会全体についてはこちら(問い合わせ先含む)

| 教育+音楽 | 04:35 AM | comments (1) |
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