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メッセージ



04/2/29 (Sun)

評価規準についてもう少し書く。まず、評価の制度的根拠について簡単に触れておく。
各学校の教科に関する事項、すなわち教育課程については「学校教育法」によって次のように定められている。小学校の例である。
「第20条 小学校の教科に関する事項は、第17条及び第18条の規程に従い、文部科学大臣が、これを定める」
そしてこの規定に基づいて文部科学大臣が定めた規則が「学校教育法施行規則」(省令)である。この省令には、各校種ごとに教育課程の編成、各教科の授業時 間数などを定めているが、その他に次のような文言を加えている。
「教育課程の基準とし文部科学大臣が別に公示する学習指導要領指導要領によるものとする」
つまり@法律によって文部科学大臣に教育課程を編成する権限が与えられ、A法律の権限によって教育課程編成のための規則が文部科学大臣によって定められ、 Bその規則によって教育課程の基準が定められる、このような構造になっているのである。
いわゆる「学習指導要領の法的拘束性」とはこのような構造を指す。
評価についても、「学校教育法施行規則」次のような文言がある。
「校長は、その学校に在学する児童等の指導要録(学校教育法施行令第三十一条 に規定する児童等の学習及び健康の状況を記録した書類の原本をいう。以下同じ。)を作成しなければならない。
2 校長は、児童等が進学した場合においては、その作成に係る当該児童等の指導要録の抄本又は写しを作成し、これを進学先の校長に送付しなければならない。
3 校長は、児童等が転学した場合においては、その作成に係る当該児童等の指導要録の写しを作成し、その写し(転学してきた児童等については転学により送付を 受けた指導要録の写しを含む。)及び前項の抄本又は写しを転学先の校長に送付しなければならない。」
つまりこれによって評価が校長(実質的には教師)に義務づけられる訳である。
ところが、評価に関してはこれ以上は法規上の規定はどこにもないのである。したがって、本来は評価というのは学校が創意・工夫を凝らして行うべきものなの である。(以下・続く)
※私は大学の音楽科教育法Uの最初の時間に、音楽科教育の法的根拠について取り上げる。その授業をで使用するプリントをアップしておく。ご批判くだされば 幸いである。
http://takashiyoshida.com/cgi-bin/mes/shiryo1.pdf
※※評価に関わる、公的な文書は、私のHPの「研究資料へのリンク」からリンクをはっているので参考にしていただきたい。


ひねくれ教育事典 【ち】の部
ちいくへんちょう(知育偏重) なにか子どもをめぐる事件があると、このせいにされた。しかし、学校は知育をするところなのだ。それに対して「偏重」とい う批判は的はずれなのだ。知育をすべき場所で知育がされてないことこそ一番問題なのである。


麻原への判決文を読んだ(新聞2面の要旨)。真実は何も明らかになっていない。麻原そのものが何もしゃべっていないからである。これではいくら麻原が極刑 になっても、被害者、家族は納得できないだろう。やりきれない思いだけが残る。

04/2/28 (Sat)

日本の家庭、それも三世代が同居している家庭を想像していただきたい。
A男さんとB子さん夫婦、その息子であるC男さんとその妻であるD子さん、そしてその息子であるE男さんとF男さん兄弟の6人家族である。
F男さんは、個々の家族をどう呼ぶだろうか。「おじいちゃん」「おばあちゃん」「お父さん」「お母さん」「おにいちゃん」「ぼく(自分のこと)」。これは 自然である。ではC男さんは個々の家族をどう呼んでいるか。F男さんに合わせて「おじいちゃん」「おばあちゃん」「お父さん(自分)」「お母さん」と呼ん でいるのではないだろうか。はなはだしい場合は息子のことを「おにいちゃん」「ぼく」と呼んでいる場合もあるのではないか。
お父さん、お母さんなどの呼称は、本来は自分との関係性をあらわすものである。だから、自分の父親のことを「おじいちゃん」と呼んだり、息子のことを「お にいちゃん」呼んだりするのは、奇妙である。しかし、日本ではこれがまかり通っているのである(私は前にも書いた通り、「井の中の蛙」なので不確かなのだ が、これは日本だけの習慣だとも言う)。つまり関係性を表す呼称がいつのまにか固有名詞化してしまったのである。なぜこうなってしまうのか。おじいさんが 別の場面ではお父さんになったりすると子どもが混乱するのではないかという心理が働くからだと推測する。日本の家庭は子ども中心主義である。
さて私は何が言いたいのか・・・もうお分かりですね。


ひねくれ教育事典 【た】の部
だいがくのじち(大学の自治) もうすっかり死語に近くなってしまった言葉。行政の力が強くなったせいもあるが、一番の理由は大学自治の恩恵を一番多く受 けた人たちが、大学の自治をすっかり食いつぶしたせい。その人たちは、食いつぶしただけでまったく修復もせずに大学を去っていく。ぼやいてもしょうがない が。


麻原に極刑判決が出た。当然のことだが、何か割り切れない気持ちだ。松本サリン事件や地下鉄サリン事件はなぜ防げなかったのか。まだあいまいなことばかり である。
今日は土曜日。先週も先々週も東京だった。久しぶりにゆっくりできる。今日は何もせずぼやっとして過ごそうと思っている。

04/2/27 (Fri)

今起床。6時51分。
オエー。飲み過ぎた。作業が遅れている。

ゲストブックのとおり、2月18日付のメッセージに対して、藤川大祐氏がご自分のホームページに反論を書かれている。
藤川氏のホームページは、http://homepage2.nifty.com/dfujikawa/ 。そのブログ版というページに掲載されている。
ただし、この議論は、雑誌『授業づくりネットワーク』の記事からはじまったの で、今後は誌上で行われることになった。雑誌をぜひご覧いただきたい。藤川氏の元論文は3月号に掲載されている。私の批判は4月中旬に発行される5月号に 掲載される予定である。
今回は私は批判をしたが、藤川氏はすぐれた若手の教育研究者である。音楽教育が専門ではないが、かつてこの雑誌で「歌謡曲の教育学」という連載記事を執筆 していた。(氏のホームページで読める)。
『授業づくりネットワーク』は私も一押しの月刊誌である。書店で入手しにくい方は、HPなどから直接注文できる。


ひねくれ教育事典 【そ】の部
そうぞうせい(創造性) 新しいものを作り出す能力のことだが、教育界はこの言葉を安易に使いすぎる。創造なんて簡単にできるものか。まず模倣からはじめ るべきだ。もちろん「これは模倣だ」ということを自覚させなければならない。でなければ、模倣を創造と勘違いしてしまう。そう、私は本音を言えば、「創 作」に反対なのである。


今日は、津軽地方は雪だ。リンクの青森県ライブで津軽の風景を見ていただきたい。

04/2/26 (Thu)

「20世紀の遺物・最後のたたかい」という文を「研究ノート」に書いた。唱法研究の見通しである。興味のある方はどうぞ。


ひねくれ教育事典 【せ】の部
せんせい(先生) 先生が先生と呼び合うのはおかしいという説がある。わたしも「さん」と呼べたらよいと思う。しかし、そのためにはそういう社会関係や人 間関係ができていることが条件である。私の友人のYさんの講座では、教員、学生すべて「さん」づけで呼ぶ約束ができているそうである。完全な約束はできて いなくてもそういう関係ができていればそれでよい。そうではなくて、相手が「吉田先生」と呼ぶのに、自分だけ「○○さん」では失礼である。また、「さん」 と呼び合えるような親しい人は別として、相手の年齢などによって「さん」「先生」を使い分けるのは差別である。「先生」と呼んでおくほうが無難である。た だし、公の場で外部の人と話すときに、身内のことを「○○先生」と呼ぶのはそれが上司であっても言葉使いとして間違っている。


昨日大学に行ったら、「巣立ちの歌」が話題になった。「巣立ちの歌っていやだよね。でもいい歌だよね」だって。
前期日程の入学試験も無事終了。2月はあと4日。今年は1日長い。得なのか、損なのが。
上の写真は、電気ブランではなくデンキブランだそうだ。訂正することにする。

04/2/25 (Wed)

久しぶりに雑誌『教育3月号』(国土社・本体590円)を買った。「教育科学研究会」編集。この名前がもう懐かしい思い出になってし まった。特集は「ナショナリズムの現在と教育の問題」。サッカーなどの試合で日の丸フェイスペインティングをする若者の姿を「ぷちナショナリズム」と言う そうだ。私は、自覚としては結構ナショナリストなのである。ただ、「健全なナショナリスト」なのか、「偏狭なナショナリスト」なのかはたまた「病的なナ ショナリスト」なのかはよく分からない。この面に関しては自分がよく見えていない。もう少し整理したい。それよりもこの中にちょっと興味深い記事が掲載さ れていた。
・石上兵吉「ぷちナショな高校生たち」
石上氏はいわゆる「最底辺校」と呼ばれる公立高校の先生らしい。次のような生徒の実態を紹介している。
「メールといえば、生徒たちのメールはトラブルのものになることがままある。もともと書き言葉を使うことになれていない生徒たちである。それがメールで何 かを伝えようとすると会話体を使うしかない。面と向かって話している時に表情やその他の表現を使用しているからあいてに伝わるものが、メールというテキス トだけの媒体を使うから誤解だらけになる。誤解が誤解を生み、最後は直接に暴力で話しをつけるというこは、明るみに出たものだけでも半年に4、5件ある。 実数はたぶんこの十倍はあるだろう」
このような状態を嘆くだけではもったいない。こういう状態がをあるなら、文章によるコミュニケーションの大切さを教えるよい機会だとすべきだ。メールが普 及すれば、当然書き言葉が使えなければならなくなる。「メールによる文章指導」というようなプランを考えるべきだ。
そう言えば、大学生から来るメールにもひどいのがある。指導しなければ。


ひねくれ教育事典 【す】の部
すだちのうた(巣立ちの歌) 卒業式のシーズンである。村野四郎作詞、岩河三郎作曲で、卒業式定番のクサいクサい合唱曲。いやあ、それにしてもクサい。サ ビの「いざさらば、さらばせーんせー」まで来ると、こらえきれず泣き出す子もいるとか。ああ、クサい。でもいい。1965年発表だと言う。もう40年も前 の歌だったんだ。


昨日、雑誌の原稿依頼が2本。締め切りは3月中旬ごろまでと大変だが、依頼があるうちが華だ。それにこれからしばらくは授業がない。この時期に書けるだけ 書いておくことにしよう。
今日は全国的に大学入試(国立大学の前期日程試験)である。監督があるので遅刻したら切腹ものだ。はやめに家を出よう。

04/2/24 (Tue)

少し思うところがあって「管楽器の音律論」を研究ノートに書いてみた。少しオタクっぽいが、興味のある方は見ておいていただきたい。

22日は、国立教育政策研究所の高等学校音楽の評価規準・評価方法に関する研究協力者の会議に出ていた。最終の会議である。年度内には報告書が出るはずで ある。2年越しの仕事で、途中で担当の調査官の交代もあったが、どちらの調査官も、また各委員の方々もいい方ばかりだったので、とても気持ちよく仕事がで きた。これが世に出ればまた、いろいろな議論が出てくるだろうが、それはそれで良いことだ。評価について議論することは、生徒にどのような学力を求めるの かを問うことでもある。


ひねくれ音楽事典 【し】の部
しどうとしえん(指導と支援) 教師が前でどんどん引っ張って行くのが指導、後ろからそっと押してやるのが支援。10年前は「支援」が大流行だったが、最 近は影を潜めている。教育の世界は、振り子のように揺れるので、そのうちまた戻ってくるだろう。私の予想ではあと15年くらい先だろう。その時まで生きて いるだろうか。

04/2/23 (Mon)

夜行で弘前に戻ってきた。いやー、それにしてもひどい目にあった。日本海沿岸は天気が大荒れで強風である。そのため列車の到着が2時間 もおくれた。そして弘前に着くと、吹雪である。こんなに天気が荒れたのは、弘前に来てはじめてある。

ところで、今東京から青森県方面への夜行列車は、あけぼの号1本しかない。北斗星という北海道まで行く列車はあるが青森には停車しない(正確に言えば停車 しないのではない。東北本線から北海道方面に行くには、青森駅で方向転換しなければならないから、必ず止まらざるを得ない。つまり専門用語で言う「運転停 車」をするのである。しかし、客は乗降させないのである)。八戸まで新幹線ができたので、新幹線を利用させることをねらったものだ。
そして、このあけぼの号は遅れがなくても上野から弘前まで約12時間、青森までだとあと30分ほど余分にかかる。なぜ、こんなにかかるかと言うと、経路が すごいのである。
上野−(高崎線)−高崎−(上越線)−宮内−(信越本線)−新津(羽越本線)−秋田−(奥羽本線)−弘前−青森
もともとは、奥羽本線経由で山形を通って秋田・青森へ抜ける列車で1日2往復走っていた。福島から山形(現在は新庄)まで、新幹線車両を走らせるために線 路の幅をひろげたので、在来線の車両が通れなくなった。そのため1往復を陸羽東線・西線経由にして「あけぼの」という名で走らせ、もう1往復を上越線経由 で「鳥海」という名で走らせた。その後秋田新幹線開業ににともなって、陸羽線経由の「あけぼの」を廃止し、「鳥海」を「あけぼの」と改名して現在のように なった。これもいつまで続くやら。
東北地方の鉄道は、完全に新幹線中心になってきた。そのために不便になったことがたくさんある。
そうなのだ。私は鉄道にはちょっとばかりうるさいのである。だから今のJRのやり口には文句がたくさんある。別の機会に書くことにする。

04/2/22 (Sun)

どれだけ話しても相手に理解力がないためにわかってもらえない、ということがある。それについて書かれた本が昨年大ブレークした。今で も売れつづけているという。
・養老孟司『バカの壁』(新潮新書・680円)
いまや養老氏の本は、本屋コーナーができるほどよく売れている。この本が出て以来、自分の話がわかってもらえない時に「バカと話しても仕方がない」と言っ てあっさり議論をあきらめる人も増えているという。私の経験でも、確かにそう思いたいこともある。しかし、もっと建設的な解決方法はある。
「バカの壁」は当事者だけで話すから起きるのだ。そこに第三者を登場させるのである。ジャッジである。つまりディベートの発想を利用するのである。たとえ ば次のような方法がある。
(1)ディベートと同じルールを使う・・・立論、質疑(反対尋問)、反駁にそれぞれ時間を決めて討論し、ジャッジが勝ち負けを判定する。
(2)時間を決めて話す・・・・・・・・・たとえば、双方が30分間話し、ジャッジが勝ち負けを判定する。
(3)スペースを決めて書く・・・・・・・たとえば、それぞれが主張を2000字にまとめて、ジャッジが勝ち負けを判定する。
私は、(3)の方法がかなり有効なのではないかと思っている。第三者がわかる文章を書かなければならなくなる。もちろん、公平に論文読んでジャッジできる 人が必要である。
音楽教育の研究者には人に読ませる自覚がなく一人よがりな文章を書く人が多い。証拠を出せと言われればいくらでも出す。私もかつてはそうだったが。そうい う状態を克服することができるかも知れない。


ひねくれ教育事典【さ】の部
さいのう(才能) 才能のある人を見つけて来て、その才能を伸ばしてやることはそれほど難しいことではない・・というより伸ばしてやろうとしなくても自然 に伸びてくるからだ。しかし、才能のない人の熱を冷ますのはなかなか難しい。才能のない人は、自分の能力さえ見極めることができないからだ。
私は、大学生の頃ピアノに対して少しは情熱はあった。しかし、自分が1週間かけてやっと譜読みをした曲を初見で弾く友人がいた。それもはるかに私よりも音 楽的に弾く。すぐに自分の能力を見切った。それからはピアノの練習時間を教育学や心理学の本を読むことにまわした。
その人とはまったく次元が違うくらい力のある人に会わせるのは一つの方法かも知れない。将棋の谷川棋王のお兄さんは自分も棋士になりたかったそうである。 しかし、弟が強すぎたのであきらめて東大へ進学したという。みんなが谷川のお兄さんのように行くわけではない。自分に合った生き方を見つければ良いのであ る。あきらめることはそれほど悪いわけではない。
一方、自分の生徒の才能(能力)がないとわかっていながら、ずっと幻想を抱かせ続ける教師がいる。これはもう罪である。音楽の教師にもそういう人がたくさ んいる。


今日も東京のホテルからである。丸の内で会議である。会議が終わったら夜行列車で弘前に帰る。

04/2/21 (Sat)

昨日、田中健次氏の紹介で私のホームページを見たという九州の方からメールをいただいた。ホームページに対しておほめの言葉をいただい た。そのあとに、経歴をみたら同じ高校の出身なので驚いたと言うことが書かれていた。
しかし、もっと驚いたのは私のほうである。そのお名前に見覚えがあり、さっそくその方の署名の下にあるホームページを見せていただいた。写真があったので すぐわかった。なんと、吹奏学部の3年先輩である。私が高校生の時は、大学に在学されていたが、帰省されると時々高校に来られていろいろな話をされてい た。私は非常に慕っていたからよく覚えていた。先輩のほうから見ると数ある後輩の一人なのかもしれない。「必ず教師になる」が口ぐせの方だった。その通り に人生を歩まれて来られたようである。私が教師になりたいと思って教育学部に進学したのはこの方の影響もある。ぜひ一度お会いしたい。
そう言えば、私はほとんど過去を振り返ることなく生きてきた。今のことでせいいっぱいだったからだ。だからいろいろな人に影響されてきたことやお世話に なったことをついつい忘れてしまう。不義理もたくさんしている。過去の主張と現在の主張や生きざまに矛盾もある。インターネットが過去を振り返るよいきっ かけになることがある。


ひねくれ教育事典【こ】の部
こども(子供、子ども、小人、小供、こども) 漢字の使い方によってその人の見方がわかる言葉。「子供」は公用文で使われる。ただし、文部科学省は子供と いう言葉はほとんど使わない。小学生は児童、中高校生は生徒である。「子ども」は教育関係者が使う。供だと大人のお供のような印象を与えるからだ。「小 人」は、銭湯、映画館、遊園地、乗り物その他、料金を徴収する人たちが使う。「小供」と書く人は支離滅裂な人。私の授業のレポートなら不可である。「こど も」は祝日「こどもの日」で使われる。ひらがな覚えたての子どもが読めるようにするためか。それなら、「こどものひ」がよい。


昨日、期末試験、レポートの採点がやっと終わった。急遽、公私をかねて東京に。夕方、寝台車に乗る。いろいろな人にも会いたいが今回は時間がない。明日会 議がおわったらまた寝台車で戻る。ちょっとの時間を利用して書いている。メルマガ休刊のつもりだったがだせそうだ。

04/2/20 (Fri)

「本学では、中学校教育専攻の学生は教科教育法を全部で8単位履修しなければならなくなっている。そのうち私が4単位を担当し・・・」
こういう書き出しの「論文」を見たら、みなさんはどう思われるだろうか。「本学では」でいきなりはじめられるような文章は、次のような場合である。
・弘前大学案内や履修案内のような、弘前大学のことを紹介することを目的にした文章
・弘前大学を代表して書く文章
つまり、弘前大学のことが書かれていると決まっている文章である。そうでない文章で、突然「本学では」で始まる文章を見ると違和感を感じるのが普通であ る。
ところが、小中高等学校の先生が教育雑誌に書かれた論文には「本校では」という始まりの文が多い。そしてそういう書き出しではじまる文章は、お役所的で少 しもおもしろくない。
論文というのは、個人の責任で個人の実践や研究の成果を書くものであって、学校の代表として書くものではない(学校の代表として論文など書けるはずがな い)。読者も書き手の学校のことが知りたくて読むわけではない。だから「本校では」で始まる文を見ると、論文でなくお役所の文章のような印象を受けてしま うのである。
もちろん、個人の実践や研究の成果を知らせるために、自分の勤務する学校のことを紹介しなければならない場合はある。そういう場合は、「私の勤務している ○○小学校では」というふうに書けばよいのである。「本校では」を追放しよう!


昨日、このコーナーの記事を見てくれた先生からさっそくアドバイスがあった。深謝!
具体的なものに置き換えるとわかりやい。その先生のアドバイスとは違うがそれをヒントに、次のような問題を考えてみた。
「むかしあるところに悪徳高利貸しがいた。その高利貸しは貸した金が1年で倍になるようにしたいと思った。しかし、年率「10割」とすると悪どさが見え見 えなので気がひける。そこで、月利を決めて複利計算で1年間で2倍になるようにした。この場合の月利を求めなさい」
実は、この問題は平均律の計算になっているのである。

04/2/19 (Thu)

昨日次のように書いた。「この文書は「報告」ではない。参考資料である」。これは私の勘違いである。報告でもある。メルマガの読者から 指摘された。深謝。


来年度の21世紀教育(昔で言うところの一般教育、どうして書くたびにに説明の必要な名称をつけるのか。くそ!)で、「音楽の世界」という科目を引き受け ることにした。15回の授業を一人で行うので、今から少しずつ準備をしないととてもこなせない。その授業で私がとりあげたい内容の一つに音律論がある。と ころがこれが難物なのである(音律論については、このHPのどこかにある「おやじの音楽事典」の中に簡単に書い てある。ここだけはまじめに書いた)。この音律論が完全にわかるためは、指数関数、対数関数の理解がどうしても必要になってくる。しかし、指数関数、対数 関数をはじめから教えていたのでは数学の時間になってしまう。そう言えば、高校の数学の先生で、指数や対数を教えるためにギターの弦やフレットの長さを計 らせたりしている実践があった。その逆は難しい。とりあえず大学生協の売店で、対数グラフ用紙を 買ってきて、1時間ほど眺めたが、何もうかばなかった(^^; 高校数学の授業の実践例でも集めて見ることにする。どなたか面白いアイデアがあったら教えていただきたい(I先生、O先生、見ていらっしゃったらよろしく お願いします)。


ひねくれ教育事典【け】の部
げいじゅつきょういく(芸術教育) かつて私は国立教育研究所教科教育研究部芸術教育研究室長という肩書きをいただいていた。室長と言ってもスタッフは一 人だけで室員も何もいないので何ということもないのだが、「音楽教育」ではなく「芸術教育」というのがとても好きだった。ところが2001年1月に省庁再 編で国立教育政策研究所になり、研究室という名称がなくなった。職名も国立教育政策研究所教育課程研究センター基礎研究部総括研究官といういかめしいもの になった。その10ヶ月後にこの職場を去った。


昨日は教授会が4時間半、私の走力でもフルマラソンが走れる。「民主主義は時間がかかる」と言う。はたして民主主義だからか。
自慢ではないが、私が司会をするとたいてい時間を余らせて会議が終わる。会議がきらいだからだ。教授会では学部長が司会をすることになっている。それより も会議の嫌いな人、それも気の短い人に司会をさせるようにしたらよい。まわりくどい報告や発言をする人にはどなりつけるくらいの人ならなお良い。おそらく 時間が半分くらいにはなるだろう。

04/2/18 (Wed)

『授業づくりネットワーク』3月号の特集は「評価における7つの問題」である。特集に合わせてか、藤川大祐氏の連載「基礎からの授業づ くり入門」にも評価が取り上げられている。
藤川氏は次のように言う。
「最近の学校現場には、必要以上に厳密に評価を行おうとする傾向が見られる。例えば、全教科の各時間について細かく評価項目を定めたり、毎時間のように子 どもたちに詳細なアンケートを書かせたり、子どものノートを頻繁にチェックしたり、といったことが行われている。
これらのうち、各時間について細かく評価項目を定めるあり方は、国立教育政策研究所教育課程研究センターが2002年2月に発表した『評価規準の作成、評 価方法の工夫改善のための参考資料』という報告で定められている」
私は、この藤川氏の言う「報告」の中の音楽科の資料づくりに、研究所のスタッフ(2001年11月から2002年3月までは兼任)として参加した。だか ら、この資料の位置づけについては他の研究者より分かっているつもりである。その立場から言えば、藤川氏の文章は誤解に基づいている。
 この文書は「報告」ではない。参考資料である。目標に準拠した評価(絶対評価)のためには、評価のよりどころが必要である。文部科学省はその評価のより どころを「評価規準」と呼んでいる。この規準を各学校が工夫して作成することを求めている。しかし、その規準をすべての学校が1からつくっていくのは大き な負担である。そのような負担を軽減するために、研究機関としての国立教育政策研究所が参考資料として作成したのが、この文書である。だから藤川氏の言う ように「定め」ているわけではないのである。
藤川氏はさらに続ける。
「このような評価を実際に行うためには、教師は毎時間数十から百以上の項目の評価を記録し、それを単元を通して集計しなければならない。かなり手間をかけ て評価を行うことが求められているのがわかる。毎時間個々の子どもについてのデータを集め整理しなければならない。多忙な教師には過剰な負担であり、実行 性は乏しい」
ここで、藤川氏は算数の例をあげている。算数については私は直接関わっていない。しかし、考え方はどの教科も同じである。藤川氏のこの文も誤解に基づいて いる。藤川氏がとりあげている事例でも、実際に1時間の授業でかかげている具体の評価規準は2つに過ぎない。どうして「数十から百以上」になるのか。この 具体の評価規準によって「おおむね満足できない」児童、すなわち「C・努力を要する」児童と、「A・十分満足できる」児童について記録しておけばよいので ある。あとの児童は「B・おおむね満足できる」のである。藤川氏の文には他にも誤解に基づく箇所がある。ただし、藤川氏批判が目的ではない。事態はもっと 深刻である。
この研究所の参考資料を、過剰な負担を教師に強いるものとして捉えている人は、実際に使用する小学校や中学校の教師にもたくさんいる。私自身、面と向かっ て抗議されたこともある。私たちが作成した意図が必ずしも正確に伝わっていない。1月27日付研究ノートにも書いた通り、「評価規準」と「評価基準」の混 乱もある。
これだけ誤解や混乱があるとすれば、その理由が読み手だけにあるとは言えない。この参考資料そのものが誤解されやすいのかも知れない。あるいはこの参考資 料についての説明の仕方がまずいのかも知れない。なんらかの対策が必要である。


国立大学法人化に向けた動きが活発になった。いろいろな意味で不安が広がっている。またいつか詳しく書く。

04/2/17 (Tue)

ある大学(弘前大学ではない)の大学院の入試に、次のような問題が出たそうである。
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「授業記録を書くことがよくある。自分のための記録ではなく他人に読ませるための記録である。はじめからあるがままに客観的に書こうなどとは思わない。
どれだけ客観的に記述しようとしても、またあるがままに書こうとしても、すべてを書き尽くすことは不可能だからである。
 授業のありのままを正確に伝えるならば、ビデオに撮ったほうがまだましである。現在ではそのほうが手間もかからない。ではなぜわざわざ文章で書くの か。」(XXX「研究ノート」より)
設問:「ではなぜわざわざ文章で書くのか」に続けてあなたの論を展開しなさい。
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良い問題である(^^)y
XXXには「吉田孝」が入る。このホームページの「研究ノート 10月16日付」を使ってもらったわけである。光栄なことなのでもちろん了解した。受験者 はこのページを見ていてくれたかな?


メル友を持ったニホンザル
ニホンザルは、自分の群の仲間が自分から空間的に離れた時に、声を出し合って相手が自分の周辺にいることを確認しあうそうだ。
高正信男『携帯を持ったサル』「人間らしさ」の崩壊(中公新書・700円)
高正氏は、長年、サルについて研究してきた自称サル学者である。氏は言う。
「ただし、彼ら(ニホンザル・吉田注)の出す音声そのものには、メッセージが含まれていない。仲間の所在を確認して、反応が聞こえなくなる事態を防いでい るにすぎない以上、やっていることは下等と言えば下等かもしれない。だが最近の日本人と比べてみた時、あまり差がないように思えてならないのだ。とりわけ 若者が携帯でメールをやりとりするのと、そっくりだと思う。そもそもケータイを使い出すと、常に身につけていないとどうも不安な気分に陥るらしい。さきほ どまで会っていた相手と離れるや、ただちに「元気?」とか、あえて伝える価値のない情報を交信している。しかしそんなことは、大昔からサルがやっていたこ となのだ」
そう言えば、大学教師にもそういう人がたくさんいる。(「おまえだろう」と言われそう)
読書のよさは、情報を得ることだけにあるのではない。読むことによって、自分自身の日常を見直すきっかになるのである。


昨日は、東京から戻って来て夕方は会議。これが長い。3時間会議に出るなら3時間走っているほうがましだ。
Bear氏からメールが来ていて、今週末はまた東京になりそうだ。

04/2/16 (Mon)

昨日は青梅マラソンに出場。30キロ。青梅市街から、青梅街道を奥多摩方面に15キロ上って戻ってくる、ニコニココース(帰りが楽チ ン)である。
主催の報知新聞のHPにはやくも記録が出ていた。
15K 5591位 01:31:25 
20K 5451位 01:59:02
25K 5258位 02:28:28
30K 5082位 02:57:31
2時間57分34秒。マンモスレースで、最初のスタートの合図からスタートするまでに4分半もかかったので、正味は2時間53分というところか。
昨年より8分遅かったが、体重増、練習不足を考えれば満足だ。
次の荒川への練習にもなった。雪も解けるし、走りこみもできるだろう。きっちり体をしぼって望もう。
それから、10キロ付近で野口みずき選手とすれちがった。相手は20キロ付近だから、倍くらいの速さだ。それでも同じレースで走っていると思うだけで幸せ だ。これが市民マラソンのよさである。他の競技ではこうはいかない。

夜は、曽我部さんと田中さん、そして長崎から来られた中村さんと歓談。駒形どぜうと神谷バーの電気ブラン。楽しかった。うまかった。みなさんありがとう。

今、朝6時半、東京のホテルのロビーのコンピュータから打っている。
飛行機で弘前に戻る。帰ったら会議である。

04/2/14 (Sat)

私はかつて次のように書いたことがある。

一般的に言うと熱心な先生ほど、一つの授業の内容研究や教材研究に時間をかける。そして、授業の資料を準備し発問や指示を考え、万全の態勢で授業に望む。 このように準備された授業では、確かに子どもたちは楽しく学習できるにちがいない。子どもたちの楽しそうな表情を見て、先生は「ああ、努力が報われた」と 思うだろう。「立派な先生」の典型である。学校教育はこんガンバリズムによって支えられてきたのだと思う。
しかし、これで本当によいのだろうか。子どもたちは先生の努力の恩恵にあずかるだけである。料理に例えると、料理人が一生懸命時間をかけてつくった料理 を、ペロリとたいらげて、「ああおいしかった。ごちそうさま」で終わってしまうようなものである。もちろん、子どもたちはこういった先生を尊敬するだろう し、先生に感謝もするだろう。しかし、こういった教師と子どもの関係はどこかおかしい。授業が教師の力量やガンバリに依存してしまっているのである。 (『授業づくりネットワーク』No.106、1996)

大学の授業も同じである。それなりに準備をすれば学生は満足してくれる。しかし、ペロリとたいらげて、ほとんど何も残ってないのではないかと感じることが ある。場合によっては何を食べたかさえ忘れてしまったのではないかと感じることさえある。私は、学生自身に料理を作るところからはじめさせたいのである。 しかしそうしようとするとなかなかうまくいかない。私は食べさせるだけなら何とかできるのだが、作らせるのが非常に苦手なのである。私の弱点である(弱点 は他にもあるが)。

昨日、学部のFD委員会による授業改善のための勉強会があった。話題提供者は3人、出席者は話題提供者も含めて12人。話題提供者は、学部内でもいい授業 をしてるという評判の先生である。3人の先生とも授業のために非常によく努力もされているが、学生自身に料理をつくらせるヒントももらった。新年度に向け て構想をねってみることにする。FD委員会も学生による授業評価なんかやめて、こういう行事をちょくちょく持ったらよい。次は授業研究会をやろう。私の下 手な授業を見てもらって、それをネタにして話し合いをしてもらってもよい。


ひねくれ教育事典【く】の部
クラブかつどう(クラブ活動) 昔は「クラブ」も「部」もまったく同じ意味で課外活動を指していたが、昭和40年代の教育課程の改訂で「必修クラブ」とい うのが設置されたときに、正規の時間に行うクラブと放課後に行う「部」が区別されるようになった。しかしもともと「部」は「倶楽部」の「部」らしいから、 このような区別は適切ではなかった。この「クラブ活動」も大人がやるとあまりよく言われない。クラブ「夕暮れ」とかクラブ「黒猫」といった名前の入った マッチなどは持ち歩かない方が身のためである。
※なお現行の学習指導要領の特別活動から「クラブ活動」が削除されたため、必修クラブは廃止になった。だから、これからは放課後に行うものもクラブ活動と 呼べばよい。


明日は青梅マラソン。ナンバーカードは6251。青梅市役所から奥多摩街道を15キロのぼって折り返し。そのため今日、上京する。

04/2/13 (Fri)

「星の世界」のメロディーを反復記号などを使ってできるだけ短く表す。何小節に縮めることができるか。現在あるリピート記号やD.C. やFINEを使うだけで、少なくとも4小節分は縮めることができる。同じリズムの反復も多いので、記譜法を工夫すればもっと簡単に表せそうだ。音楽を一つ の情報として見れば、反復のある音楽というのは圧縮可能な情報ということになる。圧縮が可能だということは冗長な情報だということになる。曲の長さに比し て、情報量の多い音楽、情報量の少ない音楽というような考え方ができる。ただし、反復するということも情報の一つである。4小節縮めるためには反復記号と いう別の情報も使わなければならなくなったから、本当に圧縮になっているか。数学的に証明できれば・・・音楽情報理論である。研究ノートがこのへんで止 まっている。先行研究が相当あるのだろうが、ものぐさだからほとんど手をつけていない。



私の読書法は斜め読みである。しかし、この本は時間がかかった。行きつ戻りつ・・・。私に基礎知識がないせいもあるが、まさに「森を見る」のではなく、森 の中の木の一本一本を見て行くような本だったからである。
坂野(ばんの)潤治『昭和史の決定的瞬間』(ちくま新書・700円)
この本は、1936(昭和11)年の二・二六事件から1937(昭和12)年7月7日の蘆溝橋までの1年半足らずの政治史を描いた本である。私たちは二・ 二六をきっかけに軍部が力を強めて言論統制をし、蘆溝橋事件をきっかけとする日中全面戦争に突入していった、というおおよその歴史イメージを持っている。 しかし、著者によれば、それはまちがったイメージである。二・二六の1週間前に行われた総選挙でも、また37(昭和12)年4月30日の総選挙でも、自由 主義勢力や社会民主主義勢力が躍進しているのである。著者は言う。
「陸軍が対中戦争か対日ソ戦争の準備に専念していたのは事実であっても、それに対する批判は、衆議院において、また民間言論界の中で、果敢に展開されてい た。「反ファッショ」という言葉も「人民戦線」という言葉も、内務省の検閲にひっかからなかった」。つまり、民主主義の気運は戦前史の中でももっとも盛り 上がった中で、日中戦争全面戦争がはじまったのである。戦争はファシズムが勝利したから起きたのではなく、戦争が民主主義を滅ぼしたのだと著者は言うので ある。まだ疑問な点はある。しかし、なんとなく2004年の現在に通じないか。
余談だが、この本の発行日は2004年2月10日である。実はこの本をもう2月のはじめには手に入れていた。この時間差が結構重要である。雑誌の発売日と 発行日の差のために勘違いをおこすことがあることをこの本の中で著者が述べている。


ひねくれ教育事典【き】の部
きょうじゅ(教授) 教え授けるという行為の意味だが、大学で教え授ける人のこと指す場合もある。「教授学」という学問のことを「教授になるための学問」 と勘違いしている人は結構多い。教授になるにはべつに教授学を勉強しなくても、何らかの学問を極めていればよい。しかし最近では大学教授にも教育の力量が 求められるようになったので、教授学をにわか勉強している教授もいるとか。



体が重い。青梅は不安だ。

04/2/12 (Thu)

2月10日付けのじゃんけんについて、多くの方に興味を持っていただいた。(こういうアイデアを考える貝田氏がえらいのだが)。
貝田氏の本に模範解答がでている。ただし、私と貝田氏で違うところがある。それは、私が400字以内でという条件をつけたことだ、こうすると余分な情報は 書けなくなる。
大学1年の授業では、書かせたあと他の学生の書いた原稿を互いに批判させた。
「あいこの説明が抜けている」「同時に出すことが明記されていない」「よけいな文がある」など、他人の文章の欠点はよく見えるようだ。
では、少し照れくさいが、私が書いたものを紹介する。

じゃんけんとは、二人以上の人が道具を使わずに勝敗を決めるゲームである。
ゲームの参加者は、手でグー、チョキ、パー(それぞれ、石、はさみ、紙を象徴する。以下これらまとめて「形」と呼ぶ)を、参加者全員から見える空間(以下 「場」と呼ぶ)に出して勝敗を決定する。
ルールは次の通りである。
1 グー、チョキ、パーはそれぞれ、片手で握りこぶし、人差し指と中指を立て他の指を閉じた形、全指を開いた形をつくって表す。
2 リーダーまたは参加者が声を揃えて「じゃんけんぽい」と言い、「ぽい」に合わせて、任意の形を全員が同時に場に出す。
3 場に二種類の形が出た場合、グーはチョキに勝ち、チョキはパーに勝ち、パーはグーに勝ちとする。
4 場に一種類、または三種類の形が出た場合は、勝敗が決定するまで繰り返す。この場合は「あいこでホイ」とかけ声をかける。

何度も書き直してやっとこれである。これでも完璧ではなさそうだ。ケチをつけていただきたい。なお400字詰め原稿用紙に書いたPDFファイルも見ていた だきたい。
http://takashiyoshida.com/janken.pdf


ひねくれ教育事典【か】の部
学歴(学歴) 時代が進むにしたがって価値の下がってきた言葉。大学卒業者と言ったら昔はエリートだったが、いまではただの人であるどころか、かえって厄 介者扱いされることもある。それにともなって「大学教授」という語にも重みがなくなった。さらに吉田某とかいう人物がそれに拍車をかけていると言う。


今日からは4月まで授業なし、今日は会議もなし、しかし試験の採点、成績付けが滞っている。いま朝5時ちょっと前。夜があけたら5〜6キロ走ってこよう。

04/2/11 (Wed)

さんハイ先生
私は、授業レベルの話になると、せこいほどの現実主義者なのである。例えば・・・
後期の「小専音楽科教育法」(小学校の音楽科の指導力を身につけさせるための科目、2年対象)の期末試験で次のような問題を出した。

問題1 下の楽譜の曲の歌い出しを示す合図として一番適切なものを1つ選んで○で囲み、その理由を書きなさい。
(楽譜:ワーク作曲「大きな古時計」の最初の4小節−略)
せーの  ほいさっさ さん・ハイ  ワン・ツー・サン・ハイ  1・2・3・ハイ  1・2・ハイ  アーこりゃこりゃ 

今年の正解率は90%である。教授行為の事例として、歌う活動を通して説明しているのでこれくらいの正解は当たり前である。
「何だ、あほらしい」と思われるかも知れない。その通り!あほらしいのである。しかし、このあほらしいことが現実の授業の中ではできないのである。昨年度 の2年生も同じくらいの正解率だった。ところが、これから半年たち、9月の教育実習に行くころになるとコロリと忘れてしまうのである。4拍子の弱起の曲で も3拍子の曲でもすべて「さんハイ」の合図の実習生がゴロゴロ出てくるのである。ちいさな技術を笑うものは、小さな技術に泣く。


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ひねくれ教育事典
【お】の部
おもちゃ 「遊び」と同じく幼児教育の世界では価値があるが、おとなになるにしたがって価値が下がる言葉。幼児教育の世界では「恩物」と言われるほど尊敬 されるのに、おとなの世界では「おもちゃみたいなもの」と言うように軽蔑の対象となる。さらに「おとなのおもちゃ」「おもちゃにされた」という使い方をさ れると下品ですらある。

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昨日は市内で幼稚園見学。ちょうど年少から年長まで全員が一人ずつスキップをする場面を見ることができた。スキップのできない子はギャロップになる。年長 がほぼ全員スキップ、年中が半々、年少はほぼ全員がギャロップ。だいたいどこでもいっしょだな。もちろんそういう活動をしていない園は別だか。
今日は休日だが、仕事が山積み。休めないなあ。---ぼやくだけでそれほどいやなわけではない。

04/2/10 (Tue)

「じゃんけんを知らない人に、じゃんけんの仕方を説明する文を400字以内で書きなさい」。
前期の1年向け、基礎ゼミの時に課題にした。また、今期の学部の授業でもやってみた。かなり難しい。だからそれなりに、文章の勉強になる。
貝田桃子『小論文トレーニング』(岩波ジュニア新書・740円)からのヒントである。高校生向けの本だが、大学生にも十分使える。


ひねくれ教育事典 【え】の部
えいさいきょういく(英才教育) ある特定の分野ですぐれた才能をもった子どもに授ける教育という意味だが、これを授けるとある特定の分野の才能をもった 子どもが育つと勘違いされやすい教育。早期教育をすると、まわりにできる子どもがいなければ、才能があるように見えるが、まわりが追いついてくるとだんだ んただの人になってしまうことが多い。


11月3日の「吉田からのメッセージ」、及びそれに関連する記事をすべて削除した。いつまでも置いておくようなものではない。
今日は午前中は市内の幼稚園見学をする。午後は試験が2つ。それから採点がたくさん。

04/2/9 (Mon)

「学び」
流行だからか、それとも特別な意味があるのか。「学び」という言葉がよく使われるが、うさんくさい。学会で「教師の評価と子どもの学び」と言うタイトルの 発表があったが、おさまりが悪い。なぜ一方が「評価」という二文字熟語で、もう一方は連用止めなのか。
教育学では伝統的に学習という言葉が使われて来た。もし「学習」という言葉で不都合だというのならばその理由を聞いてみたい。
例えば「教授−学習過程」はどうなるのか。学習が「学び」なら、「教授」は「教え」か。「学び−教え過程」ではおかしいから、「学び−教えのプロセス」と でも言うのだろうか。しかしやっぱりおかしい。
動詞を連用形で止めて体言の働きをさせることはよくある。その時「学び」は「学ぶ行為」そのものをさす。しかし、「教え」は「教える行為」ではなく、「キ リストの教え」と言うように、「教えられた事柄」を指す。だから学習を「学び」とすると、「教授」に対応する言葉がなくなってしまうのである。こういう場 合、二文字の熟語を使うと都合がよいのである。
「学習」をすべて「学び」という言葉に置き換えてみるとどうなるか。
「自己の学び」「学びの意欲」「学びの集団」「創造的音楽学び」「生涯学び」
とても窮屈である。かっこよさそうな言葉にすぐ飛びつくのも問題だ。ひどい場合、「学び」と「学習」が混在した文もある。どう違うんだとだれかさんにかみ つかれないようにご用心。


ひねくれ教育事典【う】の部
うんどうじょう(運動場) 日本の学校には必ず備え付けられていて「ここは学校だぞ!」という目印になっている施設。その脇にかまぼこ型の体育館があれ ば、もう絶対に学校だ。欧米の学校には必ずしも運動場がないので、日本人が学校を訪問をしようとすると迷うことがある。運動場は運動する場所だが、最近で は少なくなった土の踏める場所でもある。運動場の土地を確保できず、屋上を運動場にしている学校もでてきた。その場合はその学校は何を目印にしているのだ ろう。また、土のある運動場がなくなれば、土踏まずという言葉は死語になってしまうのであろうか。そうなると扁平足の私はとてもうれしいのだが。


昨日は一人で飲みに出た。飲み過ぎた。飲むと夜があっというまに終わってしまう。もったいないと思うのだがやめられない。
今日も大雪の模様。カラオケで「あーあ、ひろさきィは、きょーォも、ゆきーィだった」と歌ったら受けた。

04/2/8 (Sun)

トランペット奏者の曽我部清典さんとのやりとりの中で、次の本を紹介した(発言番号130)。
・上尾(あがりお)信也『音楽のヨーロッパ史』(講談社現代新書)
人が音楽をどれだけ政治的に利用してきたかについて述べた本である。この本の最後で上尾氏は次のように言う。
「平和に仕えようが、戦争に仕えようが、人間はムーサイを利用する。それが音楽の歴史である。音楽によって無自覚に感情や感覚を支配されるのではなく、音 楽を奏し聴く個人個人が音楽を自律的に支配することこそ、音楽の力を自らの内にしたことになる」
賛成である。では、個人個人が音楽を自律的に支配するためには、どうすればよいのか。まさにそれが音楽教育の役割ではないか。とりわけ、小中高等学校の音 楽教育は音楽のプロ(生産者を育てるために行うのではない。音楽を享受するアマ(消費者)を育てるために行うのである。
音楽を自律的に支配できるような音楽の消費者を育てるのが学校音楽教育の役割である。そのためには、音楽について、音楽への私たちのかかわり方について、 音楽と社会との関係について考えさせるような教育が必要である。
「学校音楽教育は消費者教育であるべきだ」
10年以上も私がくりかえしてきた主張である。
ただし、カリキュラムをどう改善していくべきかという問題と、現状の制度の中でどんな実践をしていくかという問題は、別の問題である。


ひねくれ教育事典 【い】の部
イデオロギー 持っていると世界がよく見えたような気になるが、実ははるかに多くのものを見えなくする魔法の絨毯。かつて○X主義という魔法の絨毯を手に 入れた青年は、それに乗って森の上を飛んでみた。森全体が見渡せて気持ちいい。得意になった青年は、それ以来、森の中に入ることをせずいつも森の上空を飛 ぶばかりだった。魔法の絨毯を手に入れられなかったもう一人の青年は、仕方なく森の中を歩き回った。来る日も来る日も地を這うようにして歩き回った。その うちに森の中にはさまざまな生き物が棲んでいることがわかった。その生き物と会話ができるようになった。そして森そのものが生き物であることも分かった。 最後に森とも会話ができるようになった。魔法の絨毯の青年はと言うと、あんまり得意になってはしゃぎすぎたために、絨毯から転げ落ちましたとさ。「木を見 て森を見ず」より「森を見て木を見ず」のほうがはるかに危険。


昨日は大雪。自宅で本読んだり調べものしたり家事したり。
弘前公園で雪灯籠祭りが開かれている。出かけるので、そのついで寄ってみよう。


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メール・マガジン第1号、無事発行されたようだ。

04/2/7 (Sat)

滝沢武人『人間イエス』(講談社現代新書・1997年)。だいぶ前の本だが、何度も取り出して読む本である。イエスを神の子としてでは なく、人間として捉え、その人間的魅力について語った本。著者は日本聖公会の信徒で桃山学院大学教授。
例えば、「マルコによる福音書」に次のような箇所がある。
「外から人の体に入るもので人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが、人を汚すのである」(新共同訳)
これを滝沢氏は次のように言う。
「前半の「人間の外から人間の中に入って来るもの」とは「食物」のことである、それは「腹の中に入ってから便所へと出ていくもの」すなわち「大便」なので ある。・・・・日本語の聖書翻訳者のほとんどが「便所」というギリシャ語をわざと省略して翻訳している。・・・・このイエスの言葉は、ユダヤ教の食物規定 への真正面からの反論である。「食物はみんな(大便となって)便所に出ていってしまうものだけのものではないか!」人間をけがすような食物などはない。何 を食べてもいいのだ。イエスはユダヤ教律法の食物規定全体を廃棄しようしている。というよりも一笑に付して無視している・・・・「人間をけがすものは食物 などではなく、糞じゃないか!あれこそ汚いからな・・・」というニュアンスであったのだろう。おそらくイエス自身も笑いをこらえながら発した名セリフであ ろう」
面白い! そうか、イエスはシモネタで群衆の笑いをとったのだな。
また「主の祈り」に「わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします」(日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳)がある。この本 だと、「罪」とは「借金」のことになる(「ルカによる福音書」では「負い目」、英語訳では debt だからそのほうが正しい)。「借金帳消しにしてくれ。自分も帳消しにするから」ということになる。

メル・マガをはじめる。前に頓挫したことがある。どれだけやれるかわからないが、きばらずにやろう。まだ読者数は少ない(発行者には数はわかるがだれが登 録したかわからないシステムになっている)が、明日から配信の予定である。
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ひねくれ教育事典【あ】の部
あそび(遊び) フレーベル以来、幼児教育の世界では教育的な価値があるものとみなされているが、成長するにしたがってだんだん価値が薄れていき、最後は 悪者扱いされるもの。幼児教育では「遊び」は神様扱いである。しかし、小中高校生の場合は「よく学びよく遊べ」となり、「学ぶ」という条件つきではじめて 価値のある存在になる。大人になるともうほとんど罪である。ひとたび「遊び人」などとレッテルを貼られたら、誰からも信用されなくなる。また「遊びの関 係」などと言うと不道徳だと言って非難をあびることになる。ただ、別の言葉といっしょに使うとまたちょっと価値が出てくることもあるので不思議である。 「遊びごころ」「ハンドルの遊び」など。


04/2/6 (Fri)

私の趣味は将棋(だった)。「下手の横好き」なのだが結構凝った時期があった。高知にいる頃は大学の将棋部の顧問をしていた。「顧問」 という名目で学生に教えてもらっていたのである。また、東京には「将棋センター」と言って、そこに行けば有料で将棋を指せる場所がある。碁で言えば碁会所 にあたる。実力に合わせて、適当な相手をつけてくれる。弘前にはこれがない。自宅の近くに将棋がさせる酒場があって、数回行ったことはあるが、そこに来る 人は強すぎて歯がたたない。しばらく将棋を指していない。

将棋で思い出すことがある。夏目漱石の「坊ちゃん」の一コマである。私が中学生の頃、国語の教科書に「坊ちゃん」の最初の章が掲載されていた。そこに将棋 が出て来る。(その当時の教科書はもうないので新潮文庫版から引用する)。

「兄は実業家になるとか云って頻りに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍位の割で喧嘩をしていた。ある 時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間にたたきつけてやった。眉間が割れて 少々血が出た。兄がおやじに言い付けた。おやじがおれをを勘当すると言い出した」

国語の時間。ある将棋好きの級友が、かみついた。
「先生、卑怯な待ち駒とありますが、待ち駒は卑怯じゃないと思いますが」
・・・そうなのである。待ち駒は卑怯ではなく立派な戦法なのである。将棋の格言に「王は包むように寄せよ」がある。つまり、外側から包むようにして脱出が できないようにして生け捕りするのである。だから、私も級友と同じ考えだった。
女性の国語の先生は、ちょっと困ったような顔をして、しどろもどろで次のように答えた。
「それは、「卑怯な待駒」と書いてありますから、卑怯な待駒と卑怯でない待駒があるのでしょう」
この解説は嘘なのである。その時はおかしいと思いながらも、どう考えてよいかわからなかった。

この場面、「話者」という概念を使えば、すぐに解決するのである。
この作品の作者は夏目漱石である。しかし、この作品の話者は主人公の「坊っちゃん」である。したがって、「卑怯な待駒」と言うのはこの主人公の「坊っちゃ ん」の考えなのである。確かに「待ち駒は卑怯だ」と言う人はいる。しかしそう言う人は将棋の弱い人(というかちゃんと勉強していない人)である。そういう 人が負け惜しみで言う言葉なのである。つまり、この場面では「坊っちゃん」と言う主人公は「待ち駒は卑怯だ」と考えている、そういう性格の人だと思えばい いのである。・・・もう少しつけ加えれば、「坊っちゃん」という人物を描く夏目漱石の文章の巧みさを表しているのである。
なぜ、こんな簡単なことにきづかなかったのか、不思議である。気づいたのは、ずっとあとで教育研究に興味を持って国語教育の論文などにも目を通すように なってからである。
ついでに言えば、「女のような性分」と言う言い方をしているからと言って漱石に腹を立ててはいけない。「坊ちゃん」の言葉なのである。
この「話者」の概念。実は音楽教育にも使える。

津軽はこのところ雪である。ここ(弘前大学総合情報処理セン ター)に行けば、津軽の風景をライブで見ることができる。ほとんど真っ白な白黒写真の世界である。

昨日書いた○瀬先生からメールが来た。
「事実ですから仕方ありません。心を入れ替えて、整理します(と何回言った事か)」
私もいっしょ。結局できなかった。今日こそは・・・

04/2/5 (Thu)

昨日、21世紀教育「音楽の世界」(「21世紀教育」とは昔の一般教育にあたるもので、弘大ではこう呼んでいる。カッコばかりつけや がって!おかげでこの言葉使うたびに解説が必要だ)の最後の授業だった。楽譜について取り上げた。いろいろな種類の楽譜を紹介した。感想カードを見てわ かったのだが、一番興味を持ってくれたようなのがモーツァルト作曲のバイオリンのデュエットの楽譜。芥川也寸志『音楽の基礎』(岩波新書)45ページにそ の楽譜が出ている。楽譜を上下ひっくり返してもちゃんと曲になっていて、しかもその楽譜をテーブルの真ん中において、両側から見て演奏すると二重奏曲に なっているというすごい曲である。
この曲を少し短くしてリコーダー用にし、それを小学校の授業にしたものを『授業づくりネットワーク』の「明日の授業コーナー」に書いた。ずっと昔の話では ある。
吉田孝「没後200年天才モーツァルトの不思議な楽譜」(『授業づくりネットワーク』1991年9月号)。このリコーダー用に編曲したのを「授業づくり ネットワーク」(研究団体の名称でもある)の大会で演奏させられたことがある。その時のタイトルが「たかしのすきなキスのしかた」。回文である。無理矢理 デュエットをさせられた相手の方が迷惑そうな顔をしていた。

昨日は久しぶりに、トレッド・ミルの上を10キロ走る。けっこういいペースで走れた。帰りに日比谷(すごい名称だ)の店に寄る。ママが「先生、ふとったべ か?」。ドキッ!。

研究室がグチャグチャだ。はさみが見つからん。消しゴムはどこだ? 今日は掃除しよう!
研究室のきたなさでは教育学部で1・2を争っている。私と1・2を争っている相手は、もちろん○瀬先生です。

04/2/4 (Wed)

弘前大学は地方大学だが、実は結構インターナショナルな大学である。ちゃんと数字の裏付けがあるわけではないが、外国人の教員や留学生 をたくさん見かけるような気がする。また、日本人の教員でも外国で研究してきたという人が多い。諸外国の大学との大学間交流も盛んである。
私のまわりにも、公私にわたりしょっちゅう渡航している人がいる。今度も集団でジャマイカに行って日本文化を伝えるそうだ。
わたし? 自慢じゃないが私は典型的な「井の中の蛙」である。国際的感覚はほぼ皆無に近い。外国行くのはこわい!それで、本を読んで、諸外国を味わうくら いしかない。

石澤靖治編『日本はどう報じられているか』(新潮新書・680円) イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、アラブ世界、中国、韓国のジャーナリズムで日 本がどう報じられているかを紹介したもの。欧米ではかつての日本たたきが陰をひそめているそうだ。長期に渡る経済危機が知れ渡り「日本恐れずに足りず」と 見られているとしたら皮肉である。アラブ世界では、「ヒロシマ」が反米に利用されているそうだ。中国や韓国では新たな反日報道が。奇々怪々である。

青梅マラソンのナンバーカード(今はゼッケンといわずナンバーカードと言う)の引換証が来た。6251である。30キロ、走れるのだろうか。
今日は今年度最後の授業をする。あとは試験だけ(ふう、ながかったなあ)。

04/2/3 (Tue)

1月に買った本をまとめて見 た。たくさん買ったようだが、額はそれほどでもない。文庫・新書が多いからだ。それに大学生協が1割5分引きをしていたので、消費税合わせても定価より安 く買えることもあった。
ただし、それでも「積ん読」は確実に増えていく。

このところ走っていない。おっくうなのだ。案の定、体重が増えている。これで青梅が走れるのか。
授業がきちんとできていない。完全に一方通行になっている。あと数回である。

04/2/2 (Mon)

よく引用されるし、映画にもなったそうなのだが、原典がなかなか見つからなかった本が弘大の図書館にあった。
波多野勤子『少年期』(光文社・1950)。私の生まれた年に出版された本である。1945年6月28日(空襲のあった時)に著者の長男が著者へあてた手 紙文である。この長男は中学2年生である。


どのくらいたったでしょうか。お便所に行きたくなって目をさました時は、もうラジオはしずかになっていました。
「やれやれ、今晩も助かったのか。」
ほっと安心するとともに、なんともいえない、いらだたちさを感じました。頭を持ち上げると、暗やみの中にも、だらしなくふみぬいてる欽二や、雄三と四郎を 両手にしているお母様の寝姿が、どうやらわかりました。ところがお父様の姿が見えないのです。「お便所かな。」そうも思ってみました。でもよく見ると、寝 たあとさえもないのです。こんなに夜おそく何をしていらっしゃるのだろう。僕が眠ったのが十時すぎだったのですから、もう一時ごろのはずなのに。
「お父様、まだおやすみにならないの?」
そう言いながら、手をのばしても枕もとのフスマをあけた僕は、なぜかはっとしました。お父様は風呂敷を机とすれすれのところまでたらして、じっと本を読ん でいらっしゃったのです。ひざの横には昼間の風呂敷包みがおいてありました。
「一郎かい?今ごろどうしたんだね?」
お父様は本から目をはなさずにおっしゃいました。
「僕、お便所へいきたくなっちゃんだけど、お父様こそ今ごろまで、なぜ起きていらっしゃるの? 空襲は、もうすんだんでしょう?」
「ああ」
ページをめくりながらしごくあっさりしたご返事です。
「それじゃ、おやすみになったら? いつ死ぬかわからないのに、今さら本を読んだって仕方ないでしょう?」
僕がそう言ったら、お父さまはちょっと、こっちを見てからおっしゃいました。
「一郎は自分が死ぬ前に五時間でも十時間でも、よけい寝たほうがいいと思うかね。わしはそうは思わんね。ほら、死ぬ前にどうしても読まなければならない本 がまだ三冊もある。ねてなんか、いられないよ。」
そう言って風呂敷包みに軽く手をあてると、また本を読みはじめられたのです。
僕は今までに、この時くらい、「はっ。」としてお父さまをえらいと思ったことはありませんでした。


涙がとまらない。
「お父さま」とはもちろんあの波多野完治氏である。超一流の研究者である。私のような三・四流(もっと下かも知れないが、このくらいでありたい)の研究者 とは生きる姿勢が違う。五十歳をすぎて今さら気づいてもおそい。いやいや、生まれ変わってもう一度チャンスが与えられたとしても、こういうふうに生きるの は無理かも知れない。しかし「こういうふうに生きたい思う」ことだけは今からでもできる。思うだけでも思わないよりましだと思うことにする。

04/2/1 (Sun)

読書に関するポリシー

私は、もともとはそれほどの読書家ではなかった。もちろん研究者だから必要な本はそこそこに読んだ。しかし、それ以外は推理小説と趣味の将棋の本くらい だった。
一変したのは、1993年に東京に移ってからである。電車通勤をすることになる。それも池袋、新宿、原宿、渋谷と日本一混雑する経路を通る。小さな本が必 要になる。それで、文庫、新書をいつも携行することになる。弘前で電車通勤はなくなったが、読書習慣は変わらない。

本屋について
1 大学生協の書籍にはほとんど1日1回は行く。面白そうな新刊が出ていないか確認する。
2 大きな本屋(弘前では紀伊国屋)には週に2回ほど行く。
3 東京に行ったら本屋に寄る(私は池袋ジュンク堂が中心)。買い込んだら、宅配で送ってもらう。
4 たまに古本屋(OLDではなくUSED)に寄る。思わぬ掘り出し物があったりする。 
5 急ぎはインターネットを利用する。(生協より早い)

本を買う
1 少しでも興味がそそられたら迷わず買う。
2 お金を惜しまない。(生活必需品だと思うことにする。酒は今のところやめられないので衣服代を本にまわす。だからいつもみすぼらしい格好をしてい る)。
3 ジャンルを決めない。宗教書からポルノ(めったに買わないが)まで。
4 先入観を持たない(右とか左とか、宗教とか・・・)。
5 すぐに読めなくても買う。
6 持っている本でも文庫が出たら買う。大きなほうは処分する。(場所の節約)
7 新聞、雑誌などで話題になっている本はとりあえず押さえる。

読む
1 いつでも読めるようにする。(昼食時、飲み屋、乗り物の中、ふとんの中)。
2 テレビはあらかじめ見たい番組があるとき以外はつけない(これに関してはかなり意志が強い)。
3 研究室では禁欲する(面白すぎると仕事のさまたげになる)。
4 斜め読みできるものは斜め読みする。
5 たまに精読する。
6 わからなくても悩まない。わからないのは書き手のせいにする。
7 つまらなければすぐ投げる。書き手のせいにして「失われた時間を返せ!」と叫ぶ。

その他
1 ときどき捨てる。
*蒐集家ではないのでこれまで思い切って処分してきた。特に何度も引っ越しをしたのでそうせざるを得なかった。おそらく今持っている本の3倍くらいは処分 した。ただ、後悔することも多かった。文庫本などでも絶版になってしまうことがある。また、どこにでもあると思った雑誌が見つからない。とくに弘前大の図 書館には何もない。これからは少し捨てるのは自重しようと思っている。
2 ときどき書評を書く
本の批評をホームページなどに書いてみる。結構楽しい。
アドレスがわかっていれば著者にメールを出す。
3 ときどき人に話してみる
人に内容を話すと自分がどれだけ分かっているかが分かる。同じ本を読んだ人がいるともっとうれしい。

人生が引き算になった。死ぬまでにあとどのくらい読めるのか。おっとあぶない。どこかに似た文があった。昨日紹介した本の中だ。
「わたしは、小学校の図書室に足を踏み入れるたびに、死ぬまでのあいだにいったい何冊の本を読めるだろうか、と憧れと哀しみで息が詰まり泣きそうになっ た」柳美里『言葉は静かに眠る』(新潮文庫)

04/1/31 (Sat)

言葉と音楽のたたかいだ!

昨日は青森市へ。28日に紹介した「円周率の夜」を聴き(見)に行く。ピアノ演奏と一人芝居の語りによる「ピアノ・リーディング」という公演である。ピア ノはおなじみの岡田照幸氏、語りは劇団「青年団」の俳優・大庭裕介氏、演出は同じく「青年団」の工藤千夏氏。月を素材にしたショートストリーの語りとド ビュシーの「月の光」ベート−ベンの「月光」などのピアノ曲が、交互に進行していく。しかし、どちらかがどちらかの飾りではない。かと言って、コラボレー ションと言うものでもない。むしろ、「言葉と音楽のたたかい」と呼びたい。
8月に東京で聴いた時と比べると、はるかにパワーアップしていた。工藤氏演出にも手が加えられていた。また岡田氏のピアノもよかった。しかし何と言っても 一番大きな原因は、大庭氏の成長(・・という言い方は失礼か)にある。あの存在感の大きさは何だ。正直に言えば東京の時は岡田氏のピアノに圧倒されている なあという印象だった。しかし、今回は互角、いやある場合は互角以上のたたかいをしていた。言葉は偉大だ。いやあ、いいものを見た(聴いた)

その後、打ち上げにも出させてもらった。劇団関係の方と談笑。日頃接することの少ない人たちと話すのはとても楽しい。この日はホテルに泊まる。
バタンキュウで朝9時くらいまで爆睡。こんなに寝たのは久しぶりだ。

言葉は静かに踊る

10時に駅に着いたら11時まで電車がない。朝食をとっていなかったので、定番の一二三食堂へ。お湯わり1ぱいと豚なべ、これがうまいのである。
飲みながら、読みかけだった柳美里『言葉は静かに踊る』(新潮文庫・552円)を読む。書評である。1990年代に雑誌に執筆した文をまとめたものであ る。ほとんどが20代のころのものだが、けっして解説書にはなっていない。柳氏自身の作品でもある。「言葉は静かに踊る」・・このタイトルだけでも魅力的 である。では昨日の公演はどう形容すればよいのか・・「にぎやかに言葉は踊る」。だめだこりゃ!
柳美里と言えば「命」四部作が新潮文庫になった。『命』(476円)、『魂』(552円)、『生』(552円)、『声』(552円)。新刊の時に買ってい たのだが、誰かに持って行かれたようだ。文庫を買い直した。
この4部作、この中にあの『絶対音感』(小学館・1998年刊。文庫で出ている)の最相葉月さんがとてもいい役で登場する。『絶対音感』は1997年度の 「週刊ポスト」「SAPIO」21世紀国際ノンフィクション大賞を受賞し、ベストセラーになった本である。実は私は、この『絶対音感』の中の登場人物(ほ んの数行)である。私が国立教育研究所に勤務していたころ、この「絶対音感」を書くための資料を集めていた最相さんの取材を受けたのである。もうなつかし い思い出になってしまった。

電車で弘前についたらお昼である。ダイエーの四階の電気店Laoxに寄る。2月15日に閉店するそうだ。それで在庫一掃のための安売りをしていたので、半 額のプリンターを買った。オーディオ、パソコンもかなり安値で売っている。弘前の方はおはやめに。荷物ができたのを言い訳にして掟をやぶってタクシーに 乗った。

家についたら2時。そういえば、もう1月も終わりだ。はやい!
「年をとると、どうして月日のたつのがはやいのか?」という疑問も持つ人には、だいぶ前に出た本だが、昨日紹介した怒る哲学者・中島義道氏の『時間を哲学 する・過去はどこへ行ったのか』(講談社現代新書・700円、1996年刊)がおすすめ。いくら新書と言っても、哲学だから少し腰をすえて読む必要はある が。

まだ、書きたいことはある。読みたい本もある。だが、掃除をしなければ家の中がぐちゃぐちゃである。だいぶ時間がかかりそうである。

しばらくして・・・・・・

まだ、なにも片づいてない。ちょっと本を読む。
小澤征爾+大江健三郎『同じ年に生まれて』(中公文庫・552円) つまらん! 10ページでやめる。同じ年だからどうした! 小澤の話は少しもおもしろ くない。やっぱり指揮してなんぼの人なのだ。大江も同じ。書いてなんぼ(といっても大江の書いたものはあんまり好きじゃない)。 

04/1/30 (Fri)

笑う哲学者と怒る哲学者

笑う哲学者とは土屋賢二お茶の水女子大学文教育学部長、怒る哲学者とは中島義道電気通信大学教授。
どちらも、新書や文庫がよく売れている。どちらも私の愛読書である。代表的なものを紹介。

土屋賢二『われ笑う、ゆえに我あり』(文春文庫)の書き出しはこうだ。
「以前から書きとめていたものがかなりの量になり、出版をしきりに勧めてくれる人がまわりにいなかったので、自分から出版を交渉した結果がこの本である。 事前に何人かの人に読んでもらったところ、「面白くない」という者と、「つまらない」と言う者とに意見が分かれた。なお、公平を期すために、「非常にくだ らない」という意見もあったことをつけくわえておこう」
これだけで吹き出した人は、笑いのツボの合う人である。学生に読ませて見ると、笑いころげるのとぜんぜん笑わないのと半々である。
普通だったら、次のような書き出しになるはずだ。「以前から書きとめていたものがかなりの量になり、○○出版社の○○氏の勧めもあって、出版することにし た」。当然、こう書いてあるものだと思うから、この常識的な文とそこからはずれた土屋氏の文とのズレがおかしくて笑うわけだ。笑わない人には二種類あるよ うな気がする。本をほとんど読んでいない人はこの常識的な文が頭の中にない。だから土屋氏の文が常識とズレているとも感じないのである。残念ながら、こう いう学生が結構いる。もう一つは、このズレがきちんとわかっていて(タネを見抜いていて)笑わない人である。私はまだまだ笑えるのだが、最初に読んだころ に比べるとあまり笑わなくなったなあ。

中島義道『私の嫌いな10の言葉』(新潮文庫)
この本の中で中島氏は土屋氏の文章を次のように言う。
「どうしよう。全然おかしくない。私はしばらくこの文章をにらんで反芻するのですが、「おかしい」という感情のわずかな芽さえ出ない。心が暗くなる。厭な 予感がして、早速本文を慎重に読みはじめる。おかしくない。まったく、おもしろくない。あまりにもおかしくないので、心臓がどきどきしてくる」
中島氏のこの文で私は笑いころげたのだが。それはさておきこの本で中島氏が嫌う最初の言葉は「相手の気持ちを考えろよ!」。中島氏は言う。
「相手の気持ちを考えることは、じつはたいへん残酷なことです。いじめられる者は、相手の気持ちを考えるのならいじめる者の「楽しさ」も考えねばならな い。暴走族に睡眠を妨害される者は相手の気持ちを考えるのなら、暴走族の「愉快さ」も考えねばならない。わが子が誘拐されて殺害された者、妻を目の前で強 姦されたあげく殺された者が、相手の気持ちを「考える」とはどういうことか?
ただただ憎悪と後悔で充たされ、もはや考えることもできないはず。そこを無理に考えようとすれば、反吐が出てきてまともな精神状態を保てないはず。相手の 気持ちを考えろとは、これほど過酷な要求なのです」
あまりにも率直すぎてドキドキしてくる。正直だなあと思う。

04/1/29 (Thu)

いやーびっくりした。
近代日本思想研究会『天皇論を読む』(講談社現代新書)は、福沢諭吉の「帝室論」からはじまって22点に渡る天皇論を紹介し、それに筆者の分析を加えてい る。わかりやすい。鋭い。そして何よりもよく、研究しているなあ・・・と思わせる本である。例えば、丸山眞男の著書なんて私なんか1行読んだら投げてしま うのだが・・・・。
どんな人が書いているのかと思って、最後の著者の紹介を見て驚いた。
木村純二。1970年生まれ、まだ33歳である。若い! そして、もっとびっくりしたのは・・・・、我が弘前大学の先生ではないか。

04/1/28 (Wed)

青森放送で人気のあるパーソナリティの一人に岡田照幸氏がいる。「そういえば校歌」は特に人気があるそうだ。
弘前大学でも、非常勤講師として音楽プロデュースに関わる科目を担当してもらっている。
しかし、この岡田氏、元々は本場ポーランドでショパンを研究してきたピアニストである。
この岡田氏がピアノを弾く催しが、今週、八戸と青森で開かれる。

          円周率の夜

この催し(催しというのは、ひらがなでは「もよおし」と書く。オ段の長音は「う」と書くか「お」と書くか?
「王様」は「おうさま」、「大きい」は「おおきい」。ああ、日本語はややこしい。「遠くの大きな氷の上を、
多くの狼、十ずつ通った・・・」。おっとまた脱線した)のプログラムに一文を寄せた。当日配られるのだが、
一足先に紹介


04/1/27 (Tue)

新美南吉『手袋を買いに』(小学館文庫・533円) 国語教科書教材にもなった表題作など11編が掲載されている。前に「ごんぎつね」 批判をしたことがあるが、新美南吉の作品はどうも気持ちが悪い。(だったら買わなければ良いのに!!!)。童話そのものがきらいなわけではない。そうでは なくて童話の中の登場人物(動物)を使って人間について語らせるその手法がいやなのである。表題作では最後に母狐が「ほんとうに人間はよいものかしら」と 語る。・・・私などは「だからどうした!」と思ってしまう。ごんぎつねにかかわる小論は音楽科における知 

大相撲初場所、朝青龍の全勝優勝で終わった。
昨日横綱審議会が開かれたそうだ。朝青龍の振る舞いが問題になったが今回は不問ということになったそうだ。
しかし、横審の委員って、一体自分のこと何様と思っているのだろうね。「心」だの、「品格」だの。
前、テレビの前で某大新聞の社長が、パイプくわえてふんぞりかえって「マナーがね」とか話していたが、思わず「おまえだろう」と叫んでしまった。
朝青龍よ。我が道を行け!−−−−−−−「というお前は何様だ!」と言われたらどうしよう?

04/1/26 (Mon)

中学校時代に同じクラスだった級友からメールがきた。
次のように書いてあった。

「ずいぶん 長い間 あなたをさがしていました。
佐々木学級のクラス会を開くのにあなたの所在がわからず みんなで色々探したんですよ。
思いがけず 直方の忘年会であなたの名前を聞きとてもうれしかったです。
そして やっとインタ−ネット始めたので さっそくアクセスしています。
年賀状にて先生にも報告しました。後 2〜3年したら先生の米寿の祝いがやってきます。
その時は盛大に祝賀会をと計画しています。それにしてもあなたが弘前にいたこと、
マラソンをはじめていて青梅マラソンに出場するなどびっくりしています」

涙が出そうだった。
私は、大学卒業してから、全国を転々としていたので、
地元から見れば行方不明ということだったのだろう。
わたしも、ほうぼうに不義理をしているし気恥ずかった。
また自分の消息をどこに連絡すればよいかもわからない。
ただ、インターネットのおかげで誰かが見つけてくれるだろうと思っていた。

私が教師になりたいと思った(最初は中学校教師を目指した)のは
あの中学校のクラスがあまりにも楽しかったから(授業がなければもっと!)である。
・・・今は、中学校の教師を育てる仕事をしているので、まあ満足である。

私が通った中学校は福岡県直方市にある(相撲の「魁皇」の出身校)。なかなか
遠いがいつかみんなに会いたいと思っている。

04/1/25 (Sun)

今日は会議のため、文部科学省で1日過ごし、今航空便で戻ったところ(現在22時時47分)。大雪である。
この文部科学省、この1月より3年ほど丸の内の三菱地所のビル(丸ビル南)に間借りする。その間に虎ノ門の古い建物や旧国立教育会館は改築である。
なかなか、にぎやかなところにあってとてもよい。

昨日は東京で高校のクラス会に出た。35年ぶりである。でも人はいくら年をとってもあまりかわらないものだと思った。
かくゆう私も、あまり変わっていないと言われた(^^;



04/1/24 (Sat)

何か、読書案内みたいになってきたなあ。まあ、いい。どう使おうと私の勝手だ。

升田静尾(語り)『好妻好局』(小学館文庫・476円) 不世出の鬼才といわれた将棋の故升田幸三実力制第四代名人(この呼称何とかならないものか)の夫 人が40年間の夫婦生活を語ったもの。「まず心配するのは健康状態です。その次が気力、そして虫の居所ということになりましょうか」。たんたんとした語り 口の中に夫に仕えつづけてきた満足感がほとばしる。この人なくては升田幸三もありえなかっただろう。
だが、まてよ。これだけの人である。升田との出会いがなければ、もっと跳んだ人生になっていたかも知れない。女性の犠牲がなければいい夫婦はできなかった 時代なのだろう(今も・・・)。
私は、犠牲なくしていい夫婦であることをめざしたのだが・・・・

今日は東京、明日朝から会議だが、今晩はたまたま高校の関東地区の同窓会があるので出る。
宿泊は池袋である。時間があれば本屋まわりをする予定。

04/1/23 (Fry)

10年ほど前にディベートをずいぶん勉強した。実戦もだいぶやった。学会でモデル・ディベートを2度ほどやった。
全国中高校生ディベート選手権のジャッジも体験した(中高校生の議論がしっかりしていてびっくりした)。
ディベートのことを誤解している人がいる。ディベートは相手を徹底的にうち負かしてしまうことを目的にしたゲームではない。
決められた時間・ルールの元で議論を展開する。ジャッジは第三者が行う。「朝まで・・・」のようにダラダラとした討論をやるのもない。
あっさりしているのである。
ディベートをして一番よかったのは、社会を複眼的に見る習慣がついたことである。自分とは異なる考え方もある。その考え方から見るとどう見えるのかと考え るようになることである(私生活ではまったくだめだが)。

最近の教育改革、大学改革にはディベートの発想がまったく欠けている。

04/1/22 (Thu)

ありゃりゃ、Friday のFriがまた "Fry" になっている。
Perl の Script 自体が間違っているのだ。
前に1度直したのにいつのまにか!
面倒だ、しばらくはこのままで。

04/1/22 (Thu)

LPレコード
同僚の先生が、「叔父が残したクラシックLP5百数枚ある・・・」と言う。それで格安の値段で(本当にいいのかなあ?)譲りうけた。
段ボール7箱、大学院生のS君が家まで運んでくれた。こんなこともあろうかとプレーヤーはとっておいた。まだ、聴ける体制にはなっていない。針を換えたり 調整をしたりいろいろやることがある。聴き始めるまでにまだ時間がかかりそうである。
私は、音楽をながら聴きすることができない。だから、多分週末に1〜2枚聴くのがせいいっぱいである。1回ではもったいないから、数回繰り返して聴くこと になるだろう。そうすると、一生楽しめそうである。

学務担当をしている。ある人のやり方があまりにもあこぎなので少々怒っている。昨日は何人かに怒りを(おだやかに)ぶちまけた。ここに書きたいが、書くと おおごとになりそうなのでやめる。

朝起きて一番に雑誌の原稿の校正をする。
やっつけ仕事で書いたつもりだが、読み直すとけっこういい文だと自画自賛。

今日は授業は2コマ、1日忙しくなりそうだ。

04/1/21 (Wed)

正月にピークに達していた体重が4キロ減。ランニング(今年に入って176キロ)、ダイエット(腹八分に食べる)の成果である。まあ、 元々正月の体重増は一時的なものなのであまりたいした減量ではない。しかし、それでもまだ最低時より3キロ多い。これからは少し難しくなるだろう。青梅マ ラソンが2月15日、それまでに戻したいが、レースの前の過剰なトレーニングやダイエットは禁物である。コントロールが難しいところ。

今年に入ってから、仕事もこなしているし、上のように趣味もそれなりに。私にしては珍しくよい新年の出だしである。ただ、疲れがたまってきたようだ。53 歳・・・さすがに歳かな?