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メッセージ


04/5/31 (Mon)

教員養成大学、学部の音楽科。大学によっては、音楽教育講座と呼んだり、音楽教室と呼んだりしている。例えば、我が弘前大学の場合、声 楽、器楽、音楽理論・作曲、音楽学、音楽科教育の専門家で構成され計7人のスタッフがいる。どの大学も似たようなものだ。この7人で、音楽教育と基礎とな る音楽的能力と音楽指導の能力を育てていく。教員養成大学だからと言って特別なことはない。自分の専門を生かしながら、少しだけ免許法に合わせて内容を調 整し、また学生の経験や能力を考慮し(音楽大学の学生とは違う)、当たり前のことを当たり前にやっていけばよい。難しいことなど何もない。
ところが、全国の教員養成大学にはこの当たり前のことが通用しないところがある。次のような人が結構いる。
自分の専門性ばかりを強調し(こういう人ほどその専門の世界では評価されていない)、教員養成であることをまったく省みない(そのくせ手抜きをするときに は「教員養成」を口実にする)。いまいる学生の実態やレベルをまったく無視して授業をする(そのくせ、学生を蔑視して暴言を吐く)。受験生からレッスン料 をもらって家で個人レッスンをする(今はどうか知らないが、かつて勤めていた大学にはいた。私は若かったのでちゃんと批判できなかった。今考えると情けな い)。セクハラ、アカハラは日常茶飯事(ときどき明るみに出ることがあるが氷山の一角である)。ほとんどまともに授業をしない(我が弘前大学にも残念なが らいた。某大学の有名教授にもそういう人がいる)。もう何年も研究業績がない。剽窃を繰り返す。
まともな会議ができない(わがままなボスがいて、話し合いにならない。論理がまったく通らない)ところもあるそうだ。
で、我が弘前大学教育学部音楽教育講座。今一番まともな人が集まった(私が一番まともじゃないかも・・・)。当たり前のことが当たり前に語れるようになっ た。看板通りに授業が実施されるようになった。外から見ればまだ不満もあるかも知れない。それでも、全国数ある教員養成大学・学部の中では極めてまともに 運営されている講座の一つではないかと、私はひそかに思っているのである。

04/5/29 (Sat)

最近はあまり読まなくなったが、推理小説だとか時代小説などの軽い小説を読むのが好きだ。
推理小説の場合は、たいてい名探偵役が登場する。例えば西村京太郎の十津川警部、亀井刑事のコンビ、森村誠一の棟居刑事などである(彼らは歳をとらないの か?)。これらの本が読みやすいのは、どの本にも同じ人が登場し、読者はその人がどんな人かわかっているから、一回一回登場人物を頭に入れなくてよいから だ。だからどんどん読みすすめる。だいたい見開き2ページを1分たらずで読む。このくらいのスペードで読まなければ、これだけで時間をとられて仕方ない。
同じような理由で好きなのが、時代物で池波正太郎の三シリーズである。
『仕掛人藤枝梅安』(講談社文庫)。主人公は同名の藤枝梅林。テレビ時代劇「必殺シリーズ」の第1作になった原作である。テレビの必殺シリーズよりはるか におもしろい。
『鬼平犯科長』(文春文庫)。これが一番、皆さんには馴染み深いのではないだろうか。火付盗賊改め・長谷川平蔵。これはテレビの中村吉右衛門がピッタリは まった。
そして私が一番好きなのが、『剣客商売』(新潮文庫)。別巻を合わせると25巻ほどになるのだが、ある時一気に全部読んでしまった。60歳の剣客、秋山小 兵衛とその20歳の妻、おはる(このとりあわせが何ともいい・・・・・・・)、小兵衛の息子・大治郎と物語の途中で妻になる佐々木三冬、その他、魅力的な レギュラーメンバーが毎巻登場する。主人公親子は、めちゃくちゃに腕も立つから何も心配なく読めるのがよい(小説読んで、悩むのは損である)。それと魅力 は、池波の特長である江戸の風景と酒、そして食べ物である。主人公がうまいものを食べながら酒を飲んでいる場面など、思わずよだれがでそうである。
おもしろいのは、この三部作はいずれも、さいとうたかおが漫画(劇画)にしていること、またどれもテレビドラマ化されていることだ。さいとうたかおが描く 漫画では、どうも主人公が原作よりきつい感じがする。さいとうたかおの「ゴルゴ13」のイメージがあるせいかもしれない。
テレビでは、梅林を緒形拳がやったが、もう30年ほど前でどうも軽すぎる感じ。あと、単発物と映画で小林桂樹がやっていたがこちらがはまっていたような気 がする。鬼平は吉右衛門できまり。小兵衛は藤田まことだったが、藤田は中村主水のイメージが強すぎて、ちょっと失敗の感がある。
あ・・・。書いているだけで池波の本が読みたくなった。


ひねくれ教育事典 【て】の部
テスト テストだけでは人間の能力を評価できないと言われる。当たり前のことである。ならば、テストではかれないものを、その他の手段で本当にはかること ができるかと言うと、そうではない。テストで評価できるのは人間の能力のある一面である。そういう意味では面接をしようとそれはある一面にすぎない。た だ、テストと面接が違うのはテストのほうが評価(問題作成には主観が入り込むスキはあるが)に主観が入り込まないことである。とくに公平さが一番問題にな るような入試の場合、テストだけできめるのが一番よい。私は、本音を言えば、大学入試に当日のテスト(実技を含む)以外の面接、調査書などいろいろな材料 を持ち込むのには反対である(もちろん決められたことはいっしょうけんめいやるが)。
大学の授業の場合も、テストの他、出席などの平常点で評価しろと言われるが、私はテストを一番重視しようと思っている。出席点などはごくわずかである。こ れを読んだ学生は覚悟することだ。


今日は、ラジオ出演だ。RAB青森放送のディレクターからメールが来て、出演が1回増えそうだ。11時台、13時台、14時台、15時台。今日の番組全体 のテーマは「初恋」。これについても話せと言う。一番苦手なテーマである。

04/5/28 (Fri)

大学院の授業で、戦前の音楽教育史をやっている。その時に戦前の唱歌教科書に掲載されていた歌や、童謡を歌ってみる。
私は、それに掲載されている歌はたいていは知っている。歌詞があればたいていは歌える。研究者だからではない。また私たちの世代の学校の教科書に載ってい たからではない。どこかで耳にしたことがあるからだ。
ところが、今の大学院生くらいの世代だと、もうほとんど知らない。最初は驚いたが、考えてみるとあたり前なのである(前にも書いたが、今の大学生は「かご めかごめ」がもう歌えないのである。それらの歌をテレビやラジオで聴くことはほとんどなくなった。そして今の大学生、大学院の世代と言えば私たちの子ども の世代である。もし、そのような歌を伝えるとすれば、私たちが伝えるしかなかったのである。それをしていない。歌がすたるのは当たり前である。
ということから考えると、歌が生き残っていくには学校で歌われる、つまり音楽教科書にされる以外にはなさそうである。そうなると今度は何を残すかが問題に なる。そして、それを国で決めたものが、小学校学習指導要領で指定された共通教材24曲である。音楽教育の事情に通じていない方もいらっしゃると思う(数 日前にひねくれ教育事典の「唱歌」で共通教材のことを書いたときに、どんな歌が指定されているのかという質問あった)。だからあらためて並べてみる。これ を見て感想があったらメールをいただきたい。
なお、中学校では現行の学習指導要領から「共通教材」は指定されなくなった。滝廉太郎の「荒城の月」「花」、山田耕筰の「赤とんぼ」、中田喜直の「夏の思 い出」(私はどうでもよいが・・・)などの歌が残るのかどうか懸念されている。
----小学校歌唱共通教材-----
第1学年
「うみ」(文部省唱歌)林柳波作詞 井上武士作曲
「かたつむり」(文部省唱歌)
「日のまる」(文部省唱歌)高野辰之作詞 岡野貞一作曲
「ひらいたひらいた」(わらべうた)
第2学年
「かくれんぼ(文部省唱歌)林柳波作詞 下総皖一作曲
「春がきた」(文部省唱歌)高野辰之作詞  岡野貞一作曲
「虫のこえ」(文部省唱歌)
「夕やけこやけ」中村雨紅作詞 草川信作曲
第3学年
「うさぎ」(日本古謡)
「茶つみ」(文部省唱歌)
「春の小川」(文部省唱歌)高野辰之作詞 岡野貞一作曲
「ふじ山」(文部省唱歌)巌谷小波作詞
第4学年
「さくらさくら」(日本古謡)
「とんび」葛原しげる作詞 梁田貞作曲
「まきばの朝」(文部省唱歌)船橋栄吉作曲
「もみじ」(文部省唱歌)高野辰之作詞 岡野貞一作曲
第5学年
「こいのぼり」(文部省唱歌)
「子もり歌」(日本古謡)
「スキーの歌」(文部省唱歌)林柳波作詞 橋本国彦作曲
「冬げしき」(文部省唱歌)
[第6学年]
「越天楽今様(歌詞は第2節まで)」(日本古謡) 慈鎮和尚作歌
「おぼろ月夜」(文部省唱歌)高野辰之作詞 岡野貞一作曲
「ふるさと」(文部省唱歌)高野辰之作詞 岡野貞一作曲
「われは海の子(歌詞は第3節まで)」(文部省唱歌)
(学習指導要領全体は私のHPの「研究資料へのリンク」で見ることができます)


ゲストブックにも書きましたが、明日(29日)、地元青森放送(RAB)のラジオ番組「夢ラジオ」にゲスト出演します。
出演時間は、11時台、14時台、15時台の3回です。青森県の方でひまな方はきいてやってください。

04/5/27 (Thu)

今日は超多忙。ゆとりありません。

04/5/26 (Wed)

昨日はメール・マガジンを配信するのを忘れた。だから昨日のメッセージを送った。

Windowsについている、スパイダー・ソリティアをちょっとはじめたら、ハマって止まらなくなった。一回は削除したが、またインストールしてしまっ た。簡単にインストールできるのがいかん。・・・・・・誰か助けてくれ〜〜〜〜〜〜〜!

04/5/25 (Tue)

「蛍の光」の三番である。

  筑紫のきわみ、陸(みち)の奧 海山遠く、へだつとも、
  その真心は へだてなく ひとつに尽くせ、国のため

  千島の奧も、沖縄も、八州のうちの、守りなり
  至らんくにに、いさおしく、つとめ、わがせ、つつがなく

今では歌わなくなったが、これを卒業式で歌っていた戦前はどうだったのか。
・浅羽通明『ナショナリズム−名著でたどる日本思想入門』(ちくま文庫・900円)
浅羽は次のようにいう。
「桜を待つ弥生3月筑波、この歌を歌う学校生徒らはふと、自分らと同様に同じ歌を斉唱している全国の卒業式に列席しているまだ見ぬ同胞たちを思うことはな かったか。あったとしたらその時、「筑紫のきわみ陸の奧」という詞が示す地理的ゾーンそのものとあいまって、ただならぬリアリティを立ち上がらせなかった だろうか」
この部分を歌っている場面を創造する。おそらくぞくぞくっとする。身がひきしまる。そんな思いではなかっただろうか。こうやって、まさに国家意識が生まれ るのである。私は批判しているのではない。むしろこの感覚が好きなのである。
一方でこの本の中には次の「民族独立行動隊」(きしあきら作詞)の歌が紹介されている。

民族の自由を守れ 蹶起せよ 祖国の労働者
栄えある革命の伝統を守れ
血潮には 正義の血潮もて叩きだせ
民族の敵 国を売るいぬどもを
進め 進め 団結かたく
民族独立行動隊 前へ前へ進め

どこで覚えたかは思い出せないのだが、私はこの歌を空で歌えるのである。この歌のナショナリズムがとても好きだったような気がする。左翼の歌である(私た ちの年代の大半は若い頃はどちらかと言えば左翼だった。だから左翼で「あった」ことは何も特別なことではない)。左翼は一方で「反米」だった。左翼はナ ショナリストでもあったわけである。
「左右」の問題に対しては、相対化して考えられるようになった。情報と思考力(あまり立派ではないが)があれば可能だ。しかし、ナショナリズムはなかなか やっかいである。ほとんど「情念」の世界だからである。
「自己の内なるナショナリズム」。これをどうコントロールするか。インターナショナル(?)な大学に勤めている私にとっては結構深刻なのである。

04/5/24 (Mon)

日朝首脳会談は、成果は拉致被害者の家族5人の帰国だけという期待はずれの結果に終わった。外交には政治には我々にはわからないいろい ろなかけひきがある。今回の首相訪問がよかったどうかは、もう少し時間がたってみないとわからない。しかし、金正日にとってはしてやったりというところだ ろう。5人の帰国という「当然以下」のことをしただけで、大きな経済援助を手にいれたのである。一杯も二杯も食わされたとしか言いようがない。拉致につい て一度は謝罪しながら、今度はこれを経済援助を引き出すためのカードに利用している。やはり通常の外交交渉の相手として扱うべきではない。
本日付の読売新聞によると訪朝評価は63%、とにかく家族が帰ってきたのはよいこどだという考えだろう。ただ、この新聞は小泉政権に対するお手盛り記事が 多いような気がするのだが、気のせいだろうか。


大学が法人化して約2ヶ月。どうも当初の予定どおりに順調にはコトは進んでいないようである。一つだけ言えば、大学の意思決定がどのような経過をたどって どのように行われているのか。これがまったく見えなくなったことである。各学部の教授会で質問したり意見を言ったりするのも筋違いのようである。


このところ、走れていない(理由ははっきりしているのだが)。ちょっと欲求不満気味である。6月末にサロマ100キロに出場する。去年は5月に400キロ ほど走って出場したのである。今年は不安である。無理かもしれない。


ひねくれ教育事典 【つ】の部
つっぱり つっぱりにも社会の不正義や権威に対してあえてコトア
ゲする志の高いつっぱりと、単にわがままを言っていきがっている
だけのだけの志の低いつっぱりがいる。「どうせつっぱるならもっ
と大きくつっぱってみな!」と言いたくなるようなアホなつっぱり
が増えている。・・・というかつっぱってるというつもりもないの
だろうな。

04/5/22 (Sat)

少し恥ずかしい勘違いをしていたことに気がついた。
「判官(はんがん)びいき」という言葉ある。弱者への同情心を言う。
忠臣蔵の話である。江戸時代はこれをそのまま芝居にすることはできなかったので、舞台をを室町時代の鎌倉に変え、登場人物を仮名で演じた。これが歌舞伎や 人形浄瑠璃の「仮名手本忠臣蔵」である。大石内蔵助の仮名は大星由良之助である。「遅かりし由良之助」の名セリフがある。そして浅野内匠頭の仮名が塩冶判 官(えんやはんがん)である。だから私は「判官びいき」は塩冶判官への同情心から生まれた言葉とばかり思っていた。
これで十分につじつまがあう。ところが違っていた。判官とは源九郎判官(ほうがん)義経のことだった。この場合の判官は、義経の官位をさす。本当は「ほう がんびいき」と読むのが正しい。
「内匠頭への同情心から生まれた言葉だ」とこれまで何人もの人に講釈したような気もする。いや恥ずかしい。
このことを先日赤穂でお世話になった三好氏にメールで知らせたら、「誰にも勘違いはある」と慰めていただいた。また、塩冶判官という説もあるとのこと。少 しホッとしたが、やはり義経が本当だろう。


ひねくれ教育事典 【ち】の部
ちゅうおうきょういくしんぎかい(中央教育審議会) 中教審と訳される。文部(科学)大臣の諮問機関である。かつては教育の基本的な事項について審議する 機関であったが、現在は教育課程審議会、教員養成審議会、などもとりこんで唯一の諮問機関になっている。本来は国の教育政策に関して、専門家の立場から忌 憚のない意見を言うために設置されたのであろうが、実際には国の政策を追認したり、権威づけたりする機関になっている。とくに旧教員養成審議会は、朝礼暮 改のように方針変更を繰り返し、教員養成大学が学部に迷惑をかけている。

04/5/21 (Fri)

昨日、大学の組合の学部支部の総会が開かれた。
高知大学、国立教育研究所時代から、ずっと組合に入っている。
特別な意味はなく、働いているのだから当然だと思っている。
これまでは組合といっても、国家公務員の組合だから、労働組合というのではなく、教職員団体の一つにすぎなかった。大学や文部省とも一応「交渉」はする が、それも「話し合い」に近いものだった。一番大きな問題は争議権がまったく保障されていないこことだった。
しかし、この4月から大学は独立行政法人になり、教職員は公務員ではなくなった。これまでの組合に対するさまざまな制限から解放された。そして組合も「労 働組合法」に規定された労働組合として再出発することになった。法的な存在だから大学当局も組合を無視することはできない。行使することはなくても争議権 があることは強い。
ただ、「組合派」という言葉あるくらい、これまで組合は大学内ではある特別な集団で何か特別な考え方を持っている団体のように見られてきた(これがおかし いのだが)。だから大学によっては組合の組織率も低い(弘前大学も同じ)。「特別な人」の団体ではなく、入っているのが当然の団体に脱皮しなければならな い。


ひねくれ教育事典 【た】の部
たんげん(単元) 関連した内容の授業のひとかたまりのことを「単元」と呼ぶが、音楽などの場合、「なじまない」という理由でかわりに「題材」という言葉 をつかう。しかし、音楽の場合でも授業のひとかたまりは当然存在する。だから単元も存在する。その単元の「主題」または「教材」のことを「題材」と呼んで いるにすぎない。私も混乱をさけるため、普通は「題材」を使っているが、本音を言えば「単元」を使いたい。

04/5/19 (Wed)

次のような文章がある。
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 東京音楽学校の一室。午後一時なのに電灯が光っている。
その日、六月二十二日は終日雨降りだった。
 下は二十八歳、上は五十八歳までの十二人の男が、所在なげに番茶をすすっていた。階下の練習室からピアノの音がくぐもって響いてくる。
「じゃあ、みなさんお揃いになったようなので、ぼちぼちはじめましょうか。本来ならば小山(作之助)先生がここにおるんだが、本日は都合がつかず欠席で す」
 切り出したのは、正面に座った校長の湯原元一である。それからやや背筋を伸ばし、あらたまった口調になった。
「それではただいまより第一回小学校唱歌教科書編纂委員会を開催したいと思います。みなさん、ずいぶん急な招集なので、きつねにつつまれたような心境なの ではないかと思います。文部省から渡部(薫之介)図書課長がおみえになっておられますので、まず本会の趣旨をお話しいただきましょう」
 会議は、あわただしい日程で招集された。文部省から通知が発送されたのはわずか四日前なのである。
「このたび、ご多忙のところお集まりいただきましたのは、文部省の方針にご協力願いたいからであります」
 出席者を品定めするような冷徹な視線をさらりと浴びせ、つづけた。
「まあ、釈迦に説法を承知で申し上げますとですな、小学唱歌がてんでんばらばらに教えられているような次第で、これをなんとか正したいということがありま す。『読本唱歌』の名称で検定唱歌集が各種出版されておるんでありますが、程度もだいぶちがうし方針もまちまちです。こういう状態はのぞましくない。統一 の必要があるわけです」
 辰之は思った。なるほど、そういうことなら、自分はおつきあい程度に聞いておればよいのだな。
 渡部課長は、咳払いをして一気に核心へ入ろうとしていた。
 (猪瀬直樹『唱歌誕生 ふるさとを創った男』文春文庫・1994・500円/オリジナルは1990年・NHKブックス)
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舞台は、1909(明治42年)。文部省編纂の唱歌教科書を編纂するための第一回目の会議のようすである。ここで登場する辰之というのは「ふるさと」の作 詞者、高野辰之である。作曲の岡野貞一ももちろん同席している。最年長の58歳とは上眞行、一月一日(としのはじめのためしとて)の作曲者である。欠席の 小山作之助は「夏は来ぬ」の作曲者。後に「早春賦」を作詞する吉丸一昌も同席している。音楽教育史上に名の残った人たちがこの場所にいた。
この会議を通して、『尋常小学読本唱歌』が翌年に、『尋常小学唱歌』が1911年から14年にかけて刊行される。
この尋常小学唱歌の中には、現在でも「文部省唱歌」として歌われている、「かたつむり」「紅葉」「茶摘み」「春の小川」「鯉のぼり」「冬景色」「朧月夜」 「故郷」などが収録されている。いわば歴史的な会議だ。
猪瀬直樹はもちろんあの「道路公団民営化」の猪瀬である。民営化問題では一勝一敗という評価を私はしているが、作家としては好きである。この猪瀬が唱歌に ついて書いた本である。
猪瀬は、この部分を『小学唱歌編纂日誌』などの歴史的な資料を参考にしながら書いている(この本を書くための資料の多くを猪瀬に提供したということを、神 戸大学の岩井正浩氏がどこかに書いていたが、どこに書いていたかがどうしてもわからない)。部屋の中の様子や、渡部課長の言葉の一つ一つは、もちろん猪瀬 の創作である。また、高野の気持ちが書かれている部分も、高野の以前の日誌からの推測による創作である。
創作と言っても、ノンフィクションだからかなりリサーチをし、膨大な資料を読んで書いてあるはずだ。実際にこの本の巻末に掲げられている参考文献も膨大な 量だ。これらの資料に作家らしい想像と創造を加え、リアリティーのある場面を描いているのである。研究者の書いたものに比べると何と生き生きとしたもの なっているか(もちろんその土台には研究者の地味な仕事の成果があるのだが)。作家の想像力と創造力は本当にすごい。
いつかこういう読みものも書いてみたいのだが、無理だろうな。

04/5/18 (Tue)

何気なく楽譜を眺めることがある。
何度も見てきた楽譜でも、新しい発見がある。
例えば、「花」(武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲)
 春のうららの隅田川 
2/4拍子の曲だが、この部分音符で表すとどうなるか。
思い出していただきたい。
大事なところは、「春のうららの」である。
楽譜で表せないのがもどかしいが、次のようになっているのである。
付点八分音、十六分音、八分音、十六休、十六音(以下略)
つまり、「春の」と「うららの」の間に休符があるのだ(はずかしいが今まで意識したことがなかった)
だから「はるの うららの」でなければならないのだ。
そのあとの「のぼり くだりの」も同じである。
さらにそのあとは「かいの しずくも はなとちる」となる。
休符を意識して歌ってみる。文字では表しきれないが次のような感じである。
 はるのっ うららのーすみだがわ
 のぼりっ くだりの−ふなびとが
 かいのっ しずくもっ はなとちる
 ながめをなににーとうべき(ここは休符なし)
「っ」は切ってすてる感じではなく、余韻を残すような感じ。
ずいぶん新鮮な曲になったような気がする。
(今日は珍しく音楽的かな)


ひねくれ教育事典 【そ】の部
そうごうてきながくしゅうのじかん(総合的な学習の時間) 最初に教育課程審議会で「横断的・総合的学習」が提唱された時には、現在の教科ではカバーしき れないような内容について学習する時間かと思っていた。しかし、ふたをあけたら何をするのかはっきりしないよくわからない時間になっていた。小学校学習指 導要領では、「総合的な学習の時間においては,各学校は,地域や学校,児童の実態等に応じて,横断的・総合的な学習や児童の興味・関心等に基づく学習など 創意工夫を生かした教育活動を行うものとする」となっている。これじゃあ、「何でもいいからやってみな」と言ってるに等しい。この時間を利用して成果をあ げている学校もあるが、ただなんとなく時間を過ごしているだけの学校も多い。中身は旧来の教科の内容で、「総合的」というころもだけをかぶせた天ぷらカリ キュラムの学校もある。

04/5/17 (Mon)

2003年度に「指導力不足」とされた公立学校教員は481人。その中に「楽器の弾けない音楽の教師」がいたという。この認定は少し怪 しいと思っている。
「楽器」とは一体何を指すのだろうか。例えば、管弦打楽器については一部を除いては私だって弾くことはできない(一部の管楽器については、音階くらいは吹 けるが、とても人を指導できるようなしろものではない)。すべての音楽教師ができる楽器と言えば、ピアノと自分で少し練習すれば演奏できるようになれる簡 易楽器くらいだろう。ピアノが弾けなかったのか。
楽器が弾けないとして指導力不足と認定された教師はどんな教師なのだろうか。推測してみる。
・コネで採用試験に合格した 採用試験ではピアノで伴奏したり、何か自分の得意な楽器を演奏したりするくらいの試験が必ずある。もしそれができないのに教 師になっているとしたら、その人はコネで合格したのである。採用試験にコネがきくという噂はどこに行ってもある(青森県のことではない)。各県会議員が合 格させてほしいと指示した受験者の名簿があって、教育委員会の担当者がそれらの受験者を合格させるために頭をかかえているという話や、楽器店が合格のため の仲介をしたという話がまことしやかに伝わってくる。
・管楽器などの経験のあまりない教師が、たまたま吹奏楽が盛んな学校に赴任した 吹奏楽の盛んな学校にはコンクールで好成績を収めることにも熱心な学校が 多い。学校側が熱心でなくても、保護者や地域がうるさい。だから音楽の教師には吹奏楽などの高い指導力が期待される。その期待に応えられない場合当然生徒 や保護者からクレームがつく。この場合、学校が吹奏楽の指導が音楽の教師の中心的な役割ではないことを明確に打ち出すべきである。
・音楽の授業が器楽指導に偏っている これは本人の責任である。音楽の授業は器楽ばかりではない。歌唱、創作、鑑賞もある。器楽で少しくらいしくじっても どこかで挽回できるはずである。自分の授業観を変えたらよい(もちろん楽器が演奏できるように努力すべきだ)。
・指導力に欠ける 音楽の教師の指導力は決して楽器の演奏技能だけで決まるようなものではない。楽器がどんなに達者でも、生徒がまったくついてこない授業 をする教師はいる。逆に楽器は少々苦手でも(よく伴奏も間違う)、よい授業をする教師はいる。むしろ、指導力が欠けることの理由をたまたまその教師が苦手 だった楽器のせいにしたのだろう。
・管理職からにらまれている 例えば何でもずばずば言う教師がいると狭量な管理職は煙たがる。めったにないことだと思うのが、その場合に「楽器が弾けな い」を利用するのだ。
いずれにしても「楽器が弾けない」ということで指導力不足と認定されることは本来はありえないことである。


ひねくれ教育事典 【せ】の部
ぜったいひょうか(絶対評価) まだまだ解決すべき問題はたくさんあるが、文部科学省は五段階相対評価を完全にやめて絶対評価にする方針を打ち出した。こ れに対して「入学試験に使えない」というようなクレームもあるそうだが、そもそも学校の評価を入学試験に使うことが問題なのだ。それはそれとして弘前大学 に赴任して驚いた。「厳正なる成績評価」というような名目で、事実上相対評価が義務づけられているのである。「平均は70点になるように」とか「成績評価 が一部に偏らないように」とか非常にうるさい。成績評価が偏った場合は理由を書かなくてはならない。一度全員に「優」を出したことがある。これは「偏って いる」ということになる。理由の欄に「すぐれた指導をしているから」と書いて提出しておいた。

04/5/16 (Sun)

読後感のよい小説を読んだ。
小川洋子『博士の愛した数式』(新潮社・2003年・1500円)
交通事故で事故以前前の記憶は残っているが、事故後の記憶は80分しか残らないという老数学者と、そこに通ってくる主人公の家政婦とその小学生の息子の3 人がおりなすおかしくも気持ちの暖かくなる小説である。一方で数学、とくに整数論の入門書になっている。博士は、記憶が80分しかのころないので家政婦と 子どもに何度も同じことを話す。その説明が読者にもわかりやすいのである。
例えば28の約数を足すと、28になる。
28:1+2+4+7+14=28
これを主人公が博士に話す。
-----
「完全数だ」
「カンゼン、数?」
揺るぎない言葉の響きを味わうように私はつぶやいた。
「一番小さな完全数は6。6=1+2+3」
「あっ、本当だ。別に珍しくないんですね」
「いいや、とんでもない。完全の意味を真に体現する、貴重な数字だよ。28の次は496。496=1+2+4+8+16+31+62++124+248。 その次は8128。その次は33550336。次は・・・(略)」
奧の桁の数字を博士が苦もなく導き出してくるのに、私は驚いた。
「当然、完全数以外は、約数の和がそれ自身より大きくなるか、小さくなるかだ。お奇異のが過剰数、小さいのが不足数。実に明快な
命名だと思わないかい? 18は1+2+3+6+9=21だから過剰数だね。14は1+2+7=10で不足数になるわけだ」
(中略)
「1だけ小さい不足数はいくらでもあるのだが、1だけ大きい過剰数は一つも存在しない。いや、誰でも見つけられずにいる、というのが正しい言い方かもしれ ん」
「何故みつからないんでしょう」
「理由は、神様の手帳だけに書いてある」
------
数学の苦手な方にはちょっと時間がかかるかもしれないが、わからないというものではない。ぜひ、数字がでてくるところを読み飛ばさないで最後まで進んでい ただきたい。


ひねくれ教育事典 【す】の部
スポーツ 体育という言葉は「体を鍛える」とか「精神を鍛える」というような言葉を連想して嫌いである。子どもの頃、体育の時間が何よりも嫌いな私は、 「体を鍛える」などいらぬお節介だと思っていた。最近は大学では「体育」という言葉は使わず「健康・スポーツ」というようになりとてもよい。。文部科学省 も「体育局」ではなく、「スポーツ青少年局」になった。ついでに、日本体育協会とか国民体育大会とか高校体育連盟とか体育科教育とかもぜんぶ名前をかえた らよい。ただ、スポーツではなくて何かよい日本語はないものかとも思うが、十分日本語になっているのでよしとするか。

04/5/15 (Sat)

イラク戦争は混迷が深まっていくかぎりである。そして紛争は世界中でまだまだ続いている。紛争の続いている地域でも人々はたくましく生 きている。
早坂隆『世界の紛争地ジョーク集』(中公新書ラクレ・720円)
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イラクのジョーク
ある時、サダム・フセイン大統領が何者かによって誘拐された。数日後、犯人グループから大統領邸に脅迫電話がかかった。「今すぐ百万ドル用意しろ。さもな ければ大統領を生かして帰すぞ」
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笑いころげるジョークで一杯だ。だが、著者のあとがきを読んで笑えなくなった。
「イラクのバクダッドの病院を訪問した時、その病室では多くの子どもたちがベッドの上に横たわっていました。彼らは米軍が使用したとされる劣化ウラン弾に より病気になった子どもたちです。ベッドの脇ではその子たちの母親と思われる女性たちが、沈痛な面もちで団扇(うちわ)を我が子に向けて扇いでいました。 外の気温が5
0度もあった日のことです。経済制裁により薬や栄養財も不足し、子どもたちは治療どころか栄養失調気味で、目の窪んだ子も少なくありませんでした。この病 室にジョークはありませんでした」(この他二つの例)
さらに次のように書く。
「・・笑いが負けることも多々あるのです。笑いを凌駕する悲劇が、この世界にはあふれています。それが無性に悲しい。人々の表情から笑いが奪われる理不尽 さにやり切れないものを覚えます。私はみんなとただ一緒に笑い合いたいだけなのに、それも叶わない状況が世界中に横たわっています。
それでも私は「笑いは世界を救う」と思っています。これは私の単なる希望や願望ではありません。ここに必要なのは笑いだと。彼らの心を絶望や怒り、哀し み、憎しみから解放するのは笑いなのだと。
援助物資や難しい社会学、崇高な哲学や心理学よりも、一つのジョークの方が力になることだってあるはずです。笑いを甘くみてはいけない」
たしかにそうだ。しかしやはり一番重要なことは、心から笑えるよ
うな平和が訪れることだ。
・・と毎日一度は声をたてて笑うことのできる平和な生活に感謝する。


ひねくれ教育事典 【し】の部
しょうか(唱歌) (1) 明治5年の学制発布から唱和16年の国民学校令の発布までの間、小学校で実施された教科の名称。 (2) 「唱歌」科で使用された歌唱教材。文部省唱歌とはその歌唱教材の中で文部省著作のもの。「文部省著作」と言っても作詞・作曲者はいたので、現在判明してい る曲については「文部省唱歌」という記述とともに作詞・作曲者名が明記されている。小学校学習指導要領では、共通教材として6年間で24曲の歌唱共通教材 が指定されているが、そのうち17曲が文部省唱歌である。またその17曲のうち、6曲が高野辰之(作詞)・岡野貞一(作曲)コンビによるものである
(作曲者については異説のあるものもあるが、学習指導要領にはそう書かれている)。文部省唱歌が多いこと、このコンビのものが多いこと、どちらも偏りすぎ ている。おまけにどうでもよい歌も多い。

04/5/14 (Fri)

連載中のひねくれ教育事典。一巡目 をまとめてみた。


わたしの日常生活(時間の使い方)
A.生きるために必要な時間(睡眠、食事、家事など)
B.教育活動(授業とその準備など)
C.実務(委員会や書類作成など)
D.研究(論文執筆や調べ物)
E.自己実現のための時間(読書、ネット、ランニング、つきあい)
F.遊びの時間(酒、たまにテレビ、たまに?)
どれも必要な時間である。それでも時間が足りない。それで今まではAの時間をできるだけ削ってきた(掃除などを省略する。睡眠時間を減らす)。また、Cも 出来るだけ手抜きしてきた。ところが、6月から新たにもう一つGが加わりそうである(5月末頃には発表予定)。当然どれかをけずらなければならない。 A〜Dはほとんど削れない(Dの時間がなくならないように注意しなければならない)。Eは削りたくないがこのネット活動は少し縮小することになるかも知れ ない。大幅に削減できるのはFだけだ。よいことかも知れない。


明治20年に音楽取調掛から出版された『幼稚園唱歌集』
(ある本にこの唱歌集には「すずめのおやど」[すずめすずめ、おやどはどこだ]という曲が含まれていると書かれてあったが、そんな曲はなかった。ただし 「進め、進め」という歌詞で掲載されていた。全然調べずに書いたのだろう。はずかしい話だ)
この中に「蜜蜂」という曲がある。旋律は今の「ブンブンブン」と同じであるが歌詞がすごい。
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 はちよ みつばちよ 
 花には戯(たわ)れず そが露持ちきて
 かもせ なが密を

 こよや みつばちよ
 春秋絶えせず 密をばつくりて
 もてこ わがもとに

 あわれ たのもしや
 力を合わせて 密をばつくれり
 みよや みつばちを
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「みつばちのように力を合わせていっしょうけんめい働きましょう」と言う歌だ。
『幼稚園唱歌集』の緒言には次のように書いてある。
「本編ハ、兒童ノ、始メテ幼穉園ニ入リ、他人ト交遊スル(コト)ヲ習フに當リテ、嬉戯唱和の際、自ラ幼徳ヲ涵養シ、幼智ヲ開發センガ為ニ、用フベキ歌曲を 纂輯シタルモノナリ」
「幼徳を涵養し、幼智を開發」。なるほど、この目標には合っている。


ひねくれ教育事典 【さ】の部
さん 最近、男子にも女子にも「さん」づけで呼ぶ学校が増えた。「さん」「くん」だと男女差別につながること、「くん」だとさげすんだ言い方になるという ことが理由らしい。私はどうでもよいことだと思うが、それでお互いに尊敬しあう気持ちが生まれいじめなどが少しでも少なくなるのなら、それはそれでよい。 実際の効果を聞いてみたい。私の小中学校の頃は、土地柄も時代も男尊女卑が残っていた。だから当然男子は女子に対しては呼び捨て、女子は男子に対しては 「さん」付けだった。さすがに高校になると女子に対して呼び捨てはしなくなった。しかし、女子が男子に「くん」づけすることは絶対になかった。だから大学 に入った時に同級生から「吉田くん」と呼ばれた時は抵抗があった。

 

04/5/13 (Thu)

真面目さを揶揄しようとするわけではないのだが・・・・
それにしても、今の学生は(一部を除いて)授業の出席に関しては極めて真面目である。
例えば今年のゴールデン・ウィーク。
30日(金)と6日(木)、7日(金)は通常に授業が行われた。私はもともと金曜日には授業がない。だから6日に授業をした。
出席者は少ないと踏んでいた。だから軽めの授業を計画していた。ところがほとんどが出席していた。
びっくりした。前の大学(92年度までいた)にいたころには考えられないことだった(いや前の大学の頃なら、私が休暇をとって授業を休んでいた)。
なぜこんなに真面目なのか。理由は簡単である。
出席を成績に反映させることになっているからだ。私もいやいやながらそうしている。そしてそれをシラバスに明記している。
また、教員は授業をできるだけ休講にしないように上から言われている。休講にしたら補講をしなければならない。15回分はきちんとやれと言う訳だ(11連 休にするつもりだったのにできなかった)。とにかく、まずは形をきちんとしろと言うことである。
大学教育に、形式主義がまかり通っている。
本当に大切なことは授業に出席したかどうかではない。要は何を身に付けたかである。演習など欠席すると他人に迷惑をかける科目を除けば、別に全部出席しよ うが、2/3欠席しようが身に付けるべきことをきちんと身に付ければそれでいいではないか。身についているかどうかは、期末試験で判断すればよいのであ る。もちろん私は何度も休んで単位が取れるような授業はやらないつもりであるが、2〜3回休むくらいのことでとやかく言いたくはない。例えば、授業を1ヶ 月休めば(それぞれはたった4回である)海外旅行だって行って来られるのだ。大学というのはそういう自由さがもっとあってもよいではないか。
そういえば、我が弘前大学では今年度からクラス担任制というのができた。20名くらいを1クラスとしてそれに1人クラス担任教員がつくのである。定期的に クラスアワーをする。クラス担任は立派な先生じゃないといけないということになっている(私はできない)。クラスアワーに出席しない学生については連絡し 注意をするということになっている。
こんなことをしていては、いつまでたっても大人になれないと思うのだが。
私は古いのか。


ひねくれ教育事典 【こ】の部
こめひゃっぴょう(米百俵) 長岡藩が戊辰戦争の見舞いにもらった米で学校を建てたという話である。確かに教育は大切だ。しかし、米で学校を建てられるう ちはまだゆとりがあるということなのである。そのゆとりもないのに学校建てたら餓死者が出てしまう。まさか餓死者が出ても学校建てるほうが先だとは言うま い。どこかの政治家がこの米百俵の話を持ち出していたが、食と教育をはかりにかけること自体が適切かどうか。
「衣食足りて礼節を知る」という言葉もある(最近は「衣食足りて礼節を忘る」という言葉もあるが)。

04/5/12 (Wed)

「評価規準をどうつくるか」(『授業づくりネットワーク』5月号)をアップした。関心のある方は読んでおいていただきたい。
http://takashiyoshida.com/hyouka.pdf


一昨日のこの欄の内容について
他人の批判ばかりしていては仕方がない。例の本を反面教師として自身も大いに反省した。次のことは必ずきちんとしなければならない。
(1)引用したり参考にしたりした文献はかならず出典を明らかにすること。
(2)引用する場合は語尾まですべてきちんと原文通りに書くこと−勝手に語尾を変えたり要約したりすると間違いがおこりやすい。
(3)二次資料を参考にした場合も一度は必ず原典にあたること。
例の本はとくに(3)の原則を守っていない。だから間違いだらけである。
二次資料の文を盗用し原典にあたらなかったために間違いをしてしまった証拠を私の職場の別の講座の研究者に見せた。「東京にいるのだから原典なんかいくら でも調べることができるはずだ。こちらは原典調べるために弘前から高い金出して上京して調べているのに」と怒っていた。
別の大学は同業者は、「自戒の糧にしたい」と言っていた。
私もあまり人に批判ばかりしないで自戒しよう。


ひねくれ教育事典 【け】の部
けいけんしゅぎ(経験主義) (1)親父「俺の子どもの頃、東京オリンピックあった。あれは1960年だった」。子「東京オリンピックは1964年だった と思うんだけど」。父「お前はどうしてそれがわかるんだ」。子「社会科の教科書に書いてあったよ」。父「俺は実際に見たんだ」。(2)年輩の監督「いい か、少しくらいしんどいからといっては水を飲んではいかんぞ。水を飲むとばてるからな」。若いコーチ「水を飲むとばてるというのは古い理論ですよ。今は水 分を取らないと脱水症で危険だと言われているんですよ」。監督「俺は何年も監督をやってきたんだ。若造が生意気な口きくな」。
 

04/5/11 (Tue)

今から7年前、雑誌に書いた記事である(1997年7月号)。このころ私は教員養成学部の教員ではなかった。
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中教審の第一次答申(六月予定)を受けて、七月ごろから教員養成審議会(教養審・蓮見音彦会長)が再開されることになった。教員養成のあり方や制度につい て審議する機関である。現在の中教審の動きからいって、大学における教員養成に関しては、「教職に関する科目」の比重をよりいっそう高める方向で審議が進 められるであろう。具体的には、「いじめ」や非行に対応するためのカウンセリング関係の科目の充実、児童・生徒ととのふれあう体験の重視、教育実習期間の 大幅延長などが盛り込まれることになるだろう。そして、最終的はその線にそって教育職員免許法(教免法)が改訂されることになるだろう。

こういった方向で教員養成制度が改訂されると、まず大学教育に大きな影響が出てくる。
一つは、教員養成大学・学部の目的養成機関化がますます進行するであろう。つまり、教員養成大学・学部は教員を育てることだけを目的にした大学になるとい うことである。以前から「教員にしかなれない教育学部のカリキュラム」ということが指摘されていたが、その傾向はいっそう強まることになる。
もう一つは、教職に関する科目の重視によって、一般の大学や学部(例えば文学部や理学部)において、教員免許状を取得することが極めて困難になるというこ とである。一般の大学や学部の学生にとっては、教職関係の科目は卒業要件の外枠にある。
その部分が大幅に増大すれば、四年間で教員免許を取得するのは不可能になる。
教師という職業の専門化がすすむことなるのである。
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この教員養成制度で思い出されるのが、教員養成大学・学部の先生たちである。
かたや教科に関する科目を担当する教官。この先生たちの関心は、もっぱら自分の専門とする研究分野である。自分の研究分野が教員養成とどう関わるかなど まったくお構いなしである。だから、小学校教師になる学生にも、卒論指導で、のみの何とかさがしのような研究させたり、自分の実験の一部を手伝わせたり (ひどいときはその実験の意味を学生がわかっていないこともある)して平気である。うまくいかなければ「教育学部の学生はレベルが低い」などと平気で言 う。
かたや教職に関する科目を担当する教官。
この先生たち、口を開けば「教育」「教育学」。しかし実際の研究内容や授業内容は過去と外国と教育の現状の告発ばかりである。だから、「教育」「教育学」 というわりには日本の今の教室や授業のことを語ってもどこかピントがはずれている。
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体験的活動や教育実習を重視するのもいいことである。教員免許取得のための単位数を大幅するのもいい。しかし、本当に教員養成制度を充実させようとおもっ たら、教官の入れ替えも含む教員養成大学・学部の大改革が必要だろう。
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7年前の文だが、かなり当たっている。えっへん! (一般の学部で免許状が取得しにくくなるというのはあたらなかった)。
ただ、この時は学校教育全体の方針が「ゆとり」に向かっていた。「ゆとり」へ向かう風向きの中で教員養成のあり方が議論され、それにそって教員養成カリ キュラムが作られた。しかし今また風向きが変わってきた(楽器の弾けない音楽の先生というのも問題になってきた!)。当然教員養成大学・学部も近いうちに 方針変更を迫られるだろう。えらい人たちの思いつきに振り回されてばかりじゃいけないと思うのだが。

04/5/10 (Mon)

「明治中期の教育界の動き」と題する次のような文がある。
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明治19(1888)年に制定された学校令は、当時の文部大臣・森有礼による国家主義的な教育政策の一環であり、天皇を頂点とする明治憲法体制を支えるた めの教育として整備を図ったものである。学校令の公布により、東京大学は帝国大学令となり、以後、帝国大学は京都・東北・九州ににも設置され、官学として の特権的地位を形成した。中学は高等・尋常の二種類、高等中学は修業2年間で官立に限り全国に5校、尋常中学は修業5年間で、1府県に1校となった。
明治33(1900)年の小学校令改正で原則として授業料は徴収せず、貧困層には修学費の補助をすることなどが打ち出された。富国強兵政策遂行のため、就 学率向上が求められたのである。
教科書の検定では、小学校の教科書について文部省の検定制度が実施された。明治憲法を支える教育勅語の精神が貫徹されないという主張が高まり、明治35 (1902)年に起こった教科書の採択を巡っての贈収賄事件、いわゆる教科書疑獄事件をきっかけに、翌年、小学校の検定制は国定制度に改められた」(日本 音楽学校編『音楽教育への挑戦』2003年11月)
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もしこれが学生のレポートなら私は不可にする。理由は次の通りである。
1)学校令などという勅令はない。小学校令、中学校令、帝国大学令などをまとめて「学校令」と呼ぶことはあるが、これらは個別の勅令だから、「学校令の公 布」という一括した言い方をすべきでない。実際に、帝国大学令と小学校令、中学校令の公布の日は異なる。
2)明治憲法が発布されたのは明治22年であり、19年の学校令が「明治憲法体制をさせるための教育として整備」されたものであるというのはこじつけであ る。それに森有礼は、明治憲法の発布の日に国粋主義者に暗殺されたのである。あまりにも有名な史実である。
3)尋常中学校(条文では「尋常中学」ではなく「尋常中学校」である)は各府県に適宜設置することになっていた。ただし地方税によるものが府県1校となっ ていたのである。だから、府県に1校ではないのである(条文を読めば分かることである)。
4)教科書の検定は小学校だけでなく中学校でも実施されたのである。(小学校令と中学校令を自分で確認すればわかることである)。
5)この文章の大半が下記の本からの引き写しである(私がいつも手元に置いて事典がわりに利用している本でもある)。
山住正己『日本教育小史』(岩波新書)
例えば、『小史』には次のような文がある。
「1900年の小学校令改正においては、簡易料などを認めてきた従来の二重組織を廃止、義務教育年限をすべて四年制として統一し、また原則として授業料は 徴収せず、貧困者には就学費の補助を出すなど、教育を受ける機会の均等をめざす努力があった。一月に閣議へ提出された原案には、就学義務違反者の処罰や、 警官による督学というきびしい方針まで示されており、義務教育完成を急いでいたのである。これらは、産業革命をすすめ、工業と軍事における大国をめざすた めに必要な処置であった」(就学費が修学費となっているのが滑稽である)
「第二は検定だけでは教科書に教育勅語の趣旨が徹底されないと見た人たちがあらわれたことである。(中略)。1902年暮れ、第一の問題がかつてないほど の規模で起こり、世に教科書疑獄事件といわれる。これをきっかけに、検定制は翌年たちまち国定制度に改められた」
これは氷山の一角である。
この本は4人の著者によって書かれているが、この中の一人T氏(某有名教員養成大学教授)の執筆箇所がほとんど上の本と次の本の引き写しなのである。
・堀内敬三『音楽明治百年史』音楽之友社
そして引き写しであることを隠そうとするためか、次のような問題を生みだしている。
1)文の最後を書き換えるためにおこる不自然な言い回し
2)文章の焦点がまったく定まっていないこと。
3)文章の書き換えによる事実の間違い
原典を調べず、通史とも言える書籍を左において適当に抜き書きし、語句や語尾の一部を変えて書いたとしか言いようがないのである。T氏の言う研究とはこの ようなものであるらしい。
昨年11月に私は名指しこそしないが、別の本のT氏の文が他の著者の文と酷似していることを批判した。(この時は匿名の手紙がきっかけであった。そのため 私が匿名の手紙で動いたことに対する批判もあった。だが、事実はすべて私自身が調べたことであった)。ただしこれは警告のつもりだった。本人が反省せすれ ば良いと思っていた。だから、このHPからもしばらくして削除した。もう二度とこのことはとりあげないつもりだった。しかし状況が変わった。
1)他の著書や噂を総合するとT氏はどうも常習者だと思われること。
2)前の件で反省するどころか、いろいろな場所で「吉田は研究者じゃないから信用するな」などと言って私を侮辱する発言を繰り返しているという(これは はっきり確認できているわけではない)。
3)私がT氏の足を引っ張っているように言われていること。
4)同業者の世界に「政治的陰謀にまきこまれた」というT氏に対して同情する声があること(盗用を指摘することがなぜ政治的陰謀なのかわからない)。
上の「常習者」という私の判断が妥当かどうかを確かめるために昨年11月(私が批判をしたあと)に出版されたこの本を入手して調べたら、案の定そうだった という訳である。驚くべきことにT氏はこの本を自分のホームページで宣伝までしているのである(まったく無自覚なのか)。
T氏の勤める大学HPによると、学生のレポートや論文に他人の著書や論文からの盗用があった場合、試験における不正行為とみなし厳しい処分が科されるそう である。ではそこの教員が平気で盗用を繰り返している場合はどうなるのか。学生に対して厳しい態度でのぞむことができるのか。大学の責任も重大である。
また、こういう間違いの多い本を出し何ら対処をしようとしない出版元、またT氏をかばいつづける同業者の責任も同様に重大である。

04/5/9 (Sun)

みなさんおひさしぶりです。
GWですっかり生活のリズムを壊していました。やっとネットを再開します。
書きたいことがたまっていますが少しずつ。
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5月3日に「武庫川70キロウルトラマラソン」に参加した。しかし練習不足のため20キロで足が動かなくなくなり、リタイヤ。6月末のサロマに向けて出直 しである。
予定通り5月4日〜5日は赤穂へ。楽しみにしていた赤穂へ。
以前からメールを通じて親交のあった元赤穂市の職員で赤穂市史の編纂などを担当していたという高光寺の三好一行住職の案内で、赤穂市博物観、赤穂城、赤穂 市海洋博物館「塩の国」などを訪問。同氏は最近のNHK大河ドラマ「元繚乱禄」では、歴史考証を担当した人である。当然話題も忠臣蔵中心に。いろいろな話 をきく。忠臣蔵にもさまざまな論争があると言う。覚えているだけざっと紹介する。
・現在の多くの人のイメージになっている話(吉良は徹底的に悪い奴)は事件後47年後に演じられた「仮名手本忠臣蔵」によるもの。浅野を「塩冶判官」、吉 良を「高師直」、大石を「大星由良之助」と仮名で表している。吉良が悪役というのは芝居の世界なのであるが、史実もその芝居通りでなければならないという 人もいるという(その話でずいぶん盛り上がった)。
・なぜ、そもそも松の廊下の刃傷事件が起きたのかについては諸説ある。一般には、吉良の意地悪説だ。「浅野が吉良に贈り物をしなかったから」、「赤穂の製 塩法を教えなかったから」などが理由。癇癪持ち、あるいは病気など、浅野側に原因があるというもの。三好氏は冷静に両者のちょっとして行き違いが理由とい う説だった。例えば塩田などは吉良と赤穂では規模が違いすぎて話にもならないそうである。
・浅野の弟の大学は、能なしのように描かれることが多いが、有能な人だったようだ。浅野切腹のあと、ただちに藩札の交換を大石に命じている。藩が発行した 藩札をそのままにしておくと領民が大変なことになるからだ。この大学を立ててお家再建を目指すのが最善だと大石が考えたとしても不自然ではない。
・討ち入りについて幕府が気がつかなかった訳はなく、実は討ち入りをさせてそれを利用しようとしたのではないかという説もある。考えれば、幕府の足元であ のような大事件を起こしてしまえること自体が不自然である。
・討ち入りに加わったのが47人か46人かでも説がある。一人だけ切腹しなかった寺坂右衛門をどうみるかである。逃亡説、大石の命令でこの事件を知らせる ためにその場を離れたという説など・・・。
その他いろいろあるが、どれも面白かった。また、赤穂城や大石の屋敷跡などは、300年前の雰囲気が残っていて感慨深かった。
三好氏の他、博物館の学芸員の小野真一氏、地元新聞社のT氏、S氏(津軽出身)にも大変お世話になった。
なお、前に書いたように私は史実よりも小説の方が好きである。しかし史実は史実として重要である。史実を重視する方へのおすすめは次の本である。
佐藤孔亮『「忠臣蔵事件」の真相』(平凡社新書・2003年・740円)


イラクでの捕虜虐待が国際問題になっている。死者まで出ていると報道されている。ブッシュ大統領でさえこれを認めて、謝罪した。
捕虜虐待で思い出すのは、第二次世界大戦後の連合国による日本人に対する戦争犯罪の裁判である。戦争犯罪に直接関わったとされるBC級戦犯に対しては訳 900名あまりに死刑判決を下した。そのうちの多くは捕虜虐待の罪に問われたものである(その中には明らかに不当な判決もある)。
今回の虐待問題でもアメリカは関係者を裁判にかけると言う。第二次世界大戦後の裁判は勝者が敗者を裁判にかけたものだった。今回は違う。「勝者」が自国民 の犯罪を問うことになる。もちろんダブルスタンダードは許されない。アメリカという国の真価が問われている。


「盗癖」という言葉があるそうだ。悪いと分かっていても、手が出てしまう。病気の一種なのだろう。
ところが、研究者の世界にもそんな人がいるようだ。おどろくべきことにその盗品を自分のショウウインドウに陳列までしている。悪いということだとも思って いないのだろう。
それが盗品であるという証拠はしっかり見つけた。いずれ徹底的にたたくつもりである。今回は日和を見ながらそれをかばう人もたたく。

04/5/2 (Sun)

GW 旅行中のため、インターネット(メルマガを含む)を休止しています。5月7日頃から再開予定。