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吉田からのメッセージ


06/9/2 (Sat)

私の中学校3年生の時の担任のS先生はもう88歳になられる。その先生が福岡県から弘前まで来てくださったのである。
私は、故郷を離れて35年。故郷では私は行方不明になっていたそうである。しかし、クラスのまとめ役だったKさんがこの1年ほど前にこのHPを見つけて私に連絡くれたことから、今回の弘前訪問が実現したのである。今回はKさんが先生に同行してくれた。
途中でハプニングもあったが、無事4日間の旅をおえて無事に九州に帰られた。先生とも、Kさんとも昔話に花が咲き、とても楽しかった。
そして先生は88歳と言ってもまだまだお元気である。旅の途中で、絵はがきを買い、昔のクラスメートに手紙を書かれていた(それがまたものすごく達筆なのである)。また先生のお元気さは、他の人まで元気づけたようである。弘前の有名な喫茶店のママは○○歳になるそうだが、先生を見て「私もあと10年がんばらなくっちゃ」。
先生、いつまでもお元気で!
それにしても、最近九州が懐かしくなってきた。望郷の念がだんだん強くなって行く。S先生にお会いして、老け込むのはまだはやいと思いつつ、一方で歳月のはやさばかり感じる。


06/8/25 (Fri)

実験をしてみた。
出張で旅行に出かけていたのだが、今回はコンピュータを持っていかなかった。また、ホテルなどに備え付けのコンピュータでWEBメールを見ることもしなかった。
コンピュータがなかったら、どれくらい不便かを試してみたかったのである。何ということもなかった。3日くらいでは少しもこまらない。

06/8/21 (Mon)

昨日は、ゆっくり高校野球の決勝戦を見た。
率直に言って、「凄い!」の一言である。あの田中、斎藤、両投手の精神力の強さである。
しかし、いくら精神力が強くても、成長過程の身体である。
今日は、二人の将来を考えるなら、監督は二人に投げさせるべきではない。都民や県民、あるいは選手達、選手本人からの非難があろうと投げさせるべきではない。自分の首をかけても。それが監督の責任というものである。
本当は、高野連が、両者を優勝にするとか、試合を延期などすべきである。そういう度量があってもいい。また、朝日新聞社がそのくらいの提案をすべきである(朝日という新聞社は偉そうなことは言うが、そういうことは絶対にできない)。

06/8/20 (Sun)

昨晩は、蕎麦屋で蕎麦焼酎の蕎麦湯割りを飲んで、蕎麦を食った。
酒に関して、2日だけだったが、やめることができることがわかった。
酒を飲まないと、思考をしている時間が1日に2〜3時間は必ず増える。1日おきくらいには我慢することも良いのかも知れない。



06/8/19 (Sat)

8月15日の小泉首相の靖国神社参拝。
読売新聞の調査によると、「支持」53%「不支持」39%ということだ(もっと高い支持率を示した報道もある)。
これはある程度予想されたことだ。そして、このような支持率が分かっていたからこそ、首相も参拝を「強行」したのである。
私は、この支持率の高さの背景には、中韓の反発に対する反発があると思う。とくに中国に対する国民の反感は大きい。
いまだに一党独裁国家で、チベットなどの少数民族を抑圧し、核兵器を持つ軍事大国で、拉致の国北朝鮮をかばい続け、東シナ海の資源問題では日本に理不尽な要求をつきつけ、領土問題でも強行な姿勢をくずさない(そのうち「沖縄は中国の領土だ」と言い出す懸念さえある)。そんな国に軍国主義呼ばわりされたくないという感情は国民には強い。だから、「中国や韓国と仲良くするために靖国参拝はやめるべきだ」というマスコミという論調は、むしろ支持率を高める役割を果たしたと言えるだろう。
私は、16日に書いたように、靖国神社が一国の総理が「内閣総理大臣」として終戦記念日に参拝することがふさわしい施設かどうかに関しては、国内問題であると考えている。だから、冷静に考えると今回の参拝には反対である。しかし、中韓にあれだけ反発されると、私はナショナリストなので(泣)、「あんたたちはまだ戦勝国のつもりかよ! 戦争で負けたら60年たっても戦勝国の言いなりなれって言うのかよ!」と心の底では小泉首相に拍手を送りたくなるのである。
と言う自分も否定しなければならない。

昨晩は、焼酎をたらふく飲んだ。「三日坊主」を絵に描いたような結末である。

06/8/18 (Fri)

津軽は今日は雨。おまけに、予想温度は高い。蒸し暑くなりそうだ。
昨日は、体育や保健の先生たちが、忙しそうに立ち回っていた。日本体育学会が弘前大学を中心に開かれる。平年なら、もう涼しい季節だが、今年は暑いので、弘前でやることがはたしてよかったのかどうか。
体育と言えば、私は大学院生時代に体育の先生や先輩に多大にお世話になった。ひょっとしたら、大学で会えるかもしれない。

まだ、酒を飲んでない(^^; さすがにつらくなってきた。


大学時代の友人の名前をHPで見かけた。メールを出したら、さっそく返事が返ってきた。
もう、30年以上も会っていない。歳月は人をかえる。すべてがうまくいっているようでも、人は不幸や悲しみを抱えて生きているのだ。
そんなことを感じた。

06/8/17 (Thu)

このところ、夏ばてがひどい。そして、集中力がない。持続力もない。脳味噌もまわらない。
それで、昨日かねてから思っていたことを実行してみた。
実は、アルコールを一滴も体に入れなかったのだ。すでにアルコールを断って38時間ほどたった。こんなことは、何年ぶりだろうか。
阪神大震災が起きた時に、ニュースを見ていていたたまれなくなって、酒をしばらく絶ったことがある。それ以来かも知れない。
まだ、何も効果はあらわれない。1週間ほど、続けてみようと思う。効果が上がらなければやめる=酒をやめることをやめる。

アメリカに行ったTさんが、アメリカでは喫煙に対して厳しいので禁煙しようと言ってる。たぶん、私の酒と同じくらいやめるのは無理だろう。


加藤紘一議員の自宅が火事。これもテロである。このテロは、政治家個人ではなく家族までねらったものである。政治家ならテロに会う覚悟くらいは必要だが(テロを容認しているのではない)、家族を狙うのは卑劣きわまりない。この種のテロへの恐怖は、言いたいことを躊躇させる効果がある。あの二二六事件は、自由な言論への大きな抑制になったという。こういったテロを軽視してはいけない。


日本の漁船がロシアから銃撃を受け、拿捕された。また、船員の命が奪われた。私などはこう言うニュースを聞くとすぐにナショナリズムの血が騒ぐ。
 くそー、ロシアめ。61年前には不可侵条約破って参戦して北方領土取って行きやがって。
 その上、そこに近づいただけで発砲するとは・・・
 それもこれも、日本が戦争に負けたせいだ。憲法で戦争しないと決めているせいだ。
 人がおとなしくしていりゃ、いい気になりやがって!
 ええい、こうなったら宣戦布告だ。第二次日露戦争だ。100年前を忘れたか。目にもの見せてやるぞ。
 いや、その前に憲法改正だ! 征露丸だ!
と、こういうふうになるのがナショナリズムという病気である。中国との間の尖閣列島問題、韓国との間の竹島問題に加えて、今回のような事件が起こると、こういう病気が蔓延する。悔しくても、こういうときこそ自制しなければならない。
毅然と抗議しつつ、日本の漁船が安全に操業できるような実質的な言質を取ってくる。これが外交である。麻生さん、あなたの腕の見せ所です。小泉さんも夏休み取っている場合じゃないですよ。

06/8/16 (Wed)

「唄はちやっきりぶし、男は次郎長」で知られる静岡地方の民謡(と私は思っていた)「ちゃっきりぶし」。
実は、この歌は昭和2(1927)年に北原白秋が作詞、町田嘉章が作曲したものだと言うことを、先日静岡でK先生から聞いた。
静岡鉄道が狐ヶ崎遊園地(現在は閉鎖)を開園した時に、CMソングとして作られたそうだ。そのことが、静岡鉄道のHPに出ている。
静鉄グループ・なるほどコラム
しかし、この唄は、ずっと前にアメリカの教科書に掲載されているのを見たような気がする。Japanese Old Folk Song として。
その訳詞を読んで笑いころげた記憶がある。
The song is Chakkiri-bushi. The man is Jirocho.

弘前市内は、今年一番の暑さで、33.9度。毎年ねぷたが終わって、お盆を過ぎれば、すずしくなるのだが。
研究室には、クーラーもなければ、扇風機もない。しかし、今日はがんばって仕事した。
明日も、33度くらいになる予報。

06/8/15 (Tue)

小泉首相が靖国神社参拝。
その国の戦没者をどう慰霊するかは国内問題であって、外国がどうのこうの言う問題ではない。
ただし、靖国神社が一国を代表する総理が終戦記念日に参拝する施設として適切がどうか。靖国神社は、国家や国民の意思とも関係なく勝手に誰でも合祀できる、一宗教法人にすぎない。そのような施設を特別扱いすることがまずおかしい。

それよりも、あの戦争について日本人はどれだけ知っているのだろうか。驚くべきことは、どう評価するかという以前に、基本的な事実経過についてでさえ、その情報を共有できていない。だから、戦争の責任もあいまいにされたままだ。実は、私自身、きわめて粗雑な認識しか持っていないことに気づいて愕然としたことがある。この点で、読売新聞の一昨日(8月13日)と本日(8月15日)の「『昭和戦争』の責任を問う」という特集は好企画である。「大東亜戦争」「太平洋戦争」など呼称さえ定まっていない一連の戦争を「昭和戦争」と呼ぶことにより、東京裁判とは独自の立場の戦争責任について検証している。
その概略は本日付の社説にもでている。

06/8/14 (Mon)

昨日で、委員会の仕事は終了した。
それなりの仕事ができたと思っている。

と言うわけで、今まだ静岡にいる。
朝、散歩に出かけた。いろいろわかった。
静岡駅から4キロほど南下すると、登呂遺跡のある登呂というところを通って、太平洋に出る。きれいな海だった。
富士山は、北東の方向に見える。かすんでいたが、やはり美しい。死ぬまでにはあの頂上に立ってみたい。ここ、1〜2年が勝負である。
それから、静岡市内の信号機は、切り替わるときに、「富士山」のメロディーが流れるということがわかった。

06/8/13 (Sun)

今日は、11時から静岡で会議。
それで、昨日から東京に来ている。何か、最近は旅行ばかりしているような気がする。
旅行は好きだが、さすがにへばってきた。
今晩は静岡に泊まり、ちょい不良(ちょいワル)するつもり。
※静岡のK先生によると、「ちょい不良オヤジ」というのは、かっこいいオヤジという意味らしい。

06/8/12 (Sat)



この豆は、そら豆を煎ったものである。九州では唐豆(とうまめ)と呼んでいた。その他、煎り豆、はじき豆などの言い方ある。
ただ、煎っただけだから、油分も塩分も混じっていない。ダイエットにも良い。私の好物である。かなり固いので歯の良い人でなければ食べるのは難しい。
この豆と似て非なるものに、フライビーンズがある。花豆とも呼ばれている(たまにこちらをはじき豆と呼ぶこともあるので注意しなければならない)。この油で揚げたほうは、塩味がついてやわらかくたべやすいが、油分が多く、少量でもカロリーが高い。
フライビーンズはどこでも売っているが、唐豆を探すのはたいへんである。たまに、100円ショップで見かけるが、安定的には供給されていない。私は安定的に入手したいと思っていたら、最近見つけた。御徒町の二木菓子(大きな卸屋)に500グラム375円の袋が山積みされていた。上京したら必ず寄って買って帰ることにする。その他、ネットでもだいぶ見つけた。何とか、一生食べ続けられそうである。これさえあれば、酒のつまみは何もいらない。

06/8/11 (Fri)

昨日、「傍若無人な若者」と書いたが、携帯電話に関しては、「傍若無人なオヤジ」が多い。飛行機に搭乗した後でも平気で携帯を使っている人、新幹線の座席で大声で携帯で話している人、街中を歩きながら大声を出している人・・・この人たちはたいていはオヤジである。飛行機は別として、乗り物の中ではメールが使える。若者はメールを使えるから電車の中で大声で電話するようなみっともないことはしない。オヤジはメールを覚えようともしないから、みっともないことをすることになる。
どうも、日本のオヤジは、携帯中毒にかかっているのではないだろうか。かく言う私も・・・

06/8/10 (Thu)

心配された台風の影響もなく、昨晩あっさり青森に戻った。
昨日予定していた仕事がキャンセルになったので、時間をもてあました。


そのもてあました時間のこと。
デパートでイベントがあったので見に言った。会場にはいすが並べられている。5分前にすわろうとしたが、もうすでに席がつまっている。いやつまっているのではなく、かばん、ぼうし、かさ、うちわ、ティッシュペーパー、ビラなどをいすの上に置いて場所取りをしているのである。テッシュペーパーやビラを置くだけで場所取りができるのである。日本人は何と律儀なことか。また、かばんをおいたままにして場所を離れることができるのである。何と安全な国か。
いや言いたいのはそのことではない。イベントがはじまっても座れないから、私は立って見ていたのだが、はじまってもその荷物を置いた場所に帰って来ない人間がいる。5分たっても10分たっても荷物だけを置いた席が残る。私は、10分たっても来ないので、席に置いてあった荷物を別の荷物が置いてある席に移して(本当は投げ捨てたい気持ちだったがさすがにそれは我慢した)、その席に座った。しばらくしてその荷物の主が来て(だいたいこういうことを平気でやるのは若者である)、私をにらみつけて帰って行った。
私は、こういう場所取りは許さない(ちょっとトイレに立つくらいかもしれないから、5分や10分は待つが)。学食でも、「場所取りはやめよう」と再三再四呼びかけているのに先に席にバッグを置いてから窓口にならぶ学生がいる(これで、10分くらいは席が無駄になる)。私はこんな時に席がなければ、そこに置いてある鞄を移してでも座ることにしている。電車やバスで、座席に鞄を置いていれば、網棚に移して座る。
(少し、関係ないが、横断歩道で自動車が一時停車しなければ上を向いて強引にわたる。見るから停止してくれないのである。飛行機の中で、離陸前に携帯を使っている奴がいたらスチュワーデスさんに「あの人を降ろしてください」と大きな声で言う。・・こんな短い時間でも携帯電話ががまんできない人間は、飛行中でもスイッチを切らない。こんな人間といっしょに命を落としたくない)
多くの日本人は律儀である。ほとんどの人がルールやマナーを守って暮らしている。だからこそ、だれかがものを置いてさえいれば、そこに占有権を認めてしまうのである。しかし、この多くの日本人の律儀さと一部の人間の傍若無人さは裏腹の関係である。律儀な多くの人が、こういったときに自己主張しないのを良いことに、傍若無人な人間が増える。
こうなればもう実力行使しかない。・・・でも本当は少し恐い・・・気が弱いから・・・・腕っぷしはもっと弱い
いずれ、もっと気の強い人間のことを書く。

06/8/9 (Wed)

まだ東京にいる。だんだん雨が強くなってきた。
今晩の飛行機を予約しているのだが、帰ることができるのだろうか。心配になってきた。


高校野球の話題。
私は、教育学部中学校教員養成課程の卒業である。私と同じ年にこの中学校教員養成課程を卒業した男の話。
いつも鋭い目つきで眉毛のつりあがったいかにも893という感じの男がいた。そういう顔つきだったのかわざとそうしていたのかは知らない。そして、いつも耳に鉛筆をはさんでいた。なんとなく目立つので気になっていた。
そのうち話す機会ができた。わかったのは、美術専攻らしいこと。そして野球部のキャプテンだと言うこと。
話してみるとなかなか面白い。内容は忘れたが野球の話は面白かった。
この男、卒業するとすぐに県内の高校に美術の教師として就職し、野球部の監督になった。数年後には春の甲子園に出場していた。指導力もあったということだろう。「画伯監督」ということで、ちょっと話題にもなった。
その後、しばらく名前を聞かなかったのだが、一昨日高校野球をテレビを見たら、その名前が聞こえる。隣の県にある高校で監督をしていたのである。
ちらちらと顔がでるが、若いころのあの顔はすっかり影をひそめ、年輪を重ねたという渋い顔をしていた。
いっしょうけんめい応援したのだが、敗れてしまった。調べてみると何度か、この学校の監督して甲子園に出場しているらしい。
また、出てくる機会があるだろう。出てきたら今度は、ぜひいいところまで行ってほしい。

06/8/8 (Tue)


誰でしょう? これは。昨日の記事を見ればわかります。本邦初公開! 本人の同意を得て(笑)掲載しました。

06/8/7 (Mon)

昨日、沖縄を発ち、東京についた。
5日は、私の大切な研究仲間であるT氏の結婚式だったのだ。だから音楽教育関係者もたくさん集まった。主賓あいさつ、乾杯の音頭、友人、先輩のスピーチ、みんな私たちが共通に親しい仲間である。
私も・・実は大役を務めたのだが、普段どおり・・やはりポカをしてしまったのだ。
でも、楽しい沖縄だった。


宿泊した場所、ゆいレール(モノレール)の安里駅前。近くに有名な栄町の歓楽街がある。この歓楽街を帰りにこの仲間たちと散歩してみたのだが、すごいところである。スナックと旅館の看板が並んでいるのだ。たいていは、1階がスナックで2階が旅館になっているようだった。一体これは何だ?


昨日は東京へ・・夜、赤羽で娘と会い、娘の友人と3人で「まるます屋」で飲んだ。これも楽しかった。

06/8/4 (Fri)

昨日午後から休暇をとった。今から沖縄へ向けて出発する。なぜか、たくさんの仲間と会える。楽しみである。
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沖縄についた。真夏の沖縄ははじめてである。
まず、国際通りを歩いてみたが、うだるような暑さである。太陽の暑さがまったくちがう。弘前とは比べ物にならない。
今、夕方4時。これから明日の準備・・・

06/8/2 (Wed)

殺人、虐待、事故。子どもの受難が続いている。せめて、生まれて来たことが幸せだったと実感できるまで生きてほしい。
それにしても、音楽教育はこういったことに対して何の役にも立たない。音楽教育を語るならまずこの自覚が大切である。
教育改革も大事だが、まずその前に子どもの生命と人権をどう守るか。中教審はまずこの議論からはじめるべきではないか。

将棋名人戦は残念なことに。詳細は、新聞等で報道されているので見て頂きたい。
私自身は、毎日が主催しようと朝日が主催しようとどちらでもよい。しかし、もし毎日から朝日に変えようというのならば、まず毎日と条件の交渉をした上で契約の解除をし、それから朝日と交渉すべきであった。ところが連盟理事会は先に朝日と裏交渉し契約額を引き出した上で毎日に契約解除を通告した。毎日はそれでも大幅に譲歩し自らの条件を全棋士の投票にゆだねるというところまで、譲歩した。そして朝日が提示した条件を上回る条件を提示した。にもかかわらず棋士たちは毎日案を否決した。これには何か裏がある・・・としか言いようがない。

プロ野球。私はアンチ・ジャイアンツである(ただし、購読新聞は読売新聞)。カープフアンだが、落合が選手のころから好きだったので、中日独走でもよい。ただ、いくらアンチと言っても、こんなに負けてはつまらない。強いからこそ負けるのがおもしろいのだ。
ところでジャイアンツの李選手が日韓で400本塁打だそうだ。20代で達成だから大記録と言うのだろう。しかし、こういう記録が出るたびに思うのは、王貞治選手の偉大さである。生涯で何とこの2倍以上868本も打ったのである。
その王さんには早く元気になってもらいたい。だがもう監督に戻らなくても良い。無理はせずゆっくり休んでもらいたい。


私たちが中高生のころは、ボクシングというのは、人気スポーツだった。原田、海老原などスターがたくさんいた。世界戦があると、次の日は学校でボクシングが話題になった。「あしたのジョー」という超人気漫画もあった(私は、単行本を全巻持っている)。
ところが、ボクシング人気はしだいに落ちてきた。WBC、WBAなど複数の団体が存在し同じクラスでもチャンピオンが複数いること、階級かあまりにも細分化されチャンピオンの価値が薄れていること、K1などの異種格闘技というゲテモノ競技に人気が集まっていることなどが理由だろう。
ただ、このところ異常にボクシング人気が高まっている。亀田三兄弟人気である。明らかにマスコミによってつくられた人気でもある。
その三兄弟の長男が、今日世界に初挑戦する。テレビの前でのあの無礼な態度も大口たたきも私は好きではない。好きではないが、その価値はボクシングが強いかどうかで決まる。今日負ければ、マスコミは手のひらをかえしたようにバッシングを始めるだろう。当然、本人もそれは覚悟しているだろう。
今のボクシング人気が、本物になるか、バブルで終わるか。今日の結果が大きく作用する。

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と言うわけで、今試合が終わって判定がでたところ。・・・・ノーコメント! 何も言いたくありません。

06/8/1 (Tue)

昨日で前期の授業が終了した。
そしてあっと言う間に8月である。今年も残すところ、あと122日である。
弘前では、今日からねぷた祭り(Neputa)祭りがはじまる。
私は、あと3日間一生懸命仕事をして、4日から9日まで夏休みを取る。4〜6は沖縄、7〜9は東京である。
その間、少しうろうろしたいと思っている。

この数ヶ月、仕事の面ではすっかり死んでいたような気がする。このことを、先日兄弟分にしっかり叱られてしまった。気持ちは痛いほどわかる。だけにつらい。

06/7/31 (Mon)

2〜3日、このページが閲覧できなかったようだ。
理由はわからない。

06/7/27 (Thu)

ずっとむかしむかしの話。
国立大学の音楽の教官の多くは、自宅で個人レッスンをして、レッスン料をかせいでいた。中には、生徒から数万円の月謝をとっていた人もいた。当時は国家公務員だったのだが、この時に大学に兼業願いをきちんと出していたかどうか、税金の確定申告をきちんとしていたかどうかも定かでない。おそらくしていなかっただろう。それよりももっと問題は、大学の教官の自宅に個人レッスンに来ていた生徒の中に、その大学を受験する高校生が含まれていたことである。つまり、自分が試験官をつとめる大学を受ける受験生に、お金を取って事前に個人レッスンをする。こういうことがまかり通っていたのである。しかも、世間では「あの大学を受験するのなら、あの大学の○○先生のレッスンをうけておかないと合格できない」というようなことが公然とささやかれていたのである。私も高校生の頃、ある人からそういうことをすすめられたことがある。私の場合家にそんなことができる経済的余裕がなかったこともあるのだが、そうしなくても幸いなことに合格できた(ただ、大学に入ってわかったのだが、そうした個人レッスンを受けていた同級生は存在した)。私の大学受験時にも、また私が最初に国立大学の教官になった頃にもこの習慣はあった。私は個人レッスンで金をかせぐような力量はなかったのでこういうことはしなかったのだが、まわりの同僚がそういうことをしていると聞いてもあまりおかしいとは思わなかった。某G大をはじめてして、全国のほとんどの国立大学でそういうことが半ば常識になっていたからだ。「音楽の教官は金にきたない」とよく言われていた。
時代は過ぎて、国家公務員に対する社会の目が厳しくなった(独立行政法人になり、「教官」が「教員」になっても、大学は国の交付金で運営されているのだから大学の教員も同じようなものである)。今そういうことをしている教員はいないと思っていた。
ところが、一部の大学にはいまでもまだまだそういうことをしている教員がいるらしいのである。それだけではなく、大学に入学した大学生にまで自宅の個人レッスンを強要してレッスン料をとる教員もいるという。おまけに、こともあろうに「このことを人に話すと退学処分になるよ」と学生を脅して口止めまでしていると言う。これでは恐喝をして、その被害者に「恐喝に応じたおまえも同罪だ」と脅しているようなものだ。やくざよりたちが悪い。こういうことは嘘であってほしい。かりに事実なら、大学は自浄能力を発揮して、徹底的に調査して事実を明らかにすべきである。
なお、この話は私のつとめる弘前大学とは関係がない。弘前大学では、そもそも大学入試に実技試験をだいぶ前から課していない。


昭和天皇の靖国"不快"発言。
私は割り切れなさを感じると書いたが、その理由は「昭和天皇の戦争責任」に関してマスコミがまったく触れようとしないからである。
もうだいぶ前の本だが、次の二つの本を引っ張り出して見た。
・池田清彦・井崎正俊・他4名『天皇の戦争責任』(洋泉社新書y・2003年・720円)
・井崎正俊『天皇と日本人の課題』(同上)
前者は、6人の著者の考えがすべて異なっている。この中の池田氏の論に注目する。池田氏は天皇の戦争責任について次のように述べる。
「昭和天皇が政府や軍に強要されて裁可したという事実がない以上、たとえ内容に反対であったしても形式的な責任者として敗戦責任はどうころんでも免れないと私は思う。責任を逃れるのは裁可の内容を理解する能力がなかった時だけであろう。そう主張することは、昭和天皇は木偶だっと主張することに他ならず、すると国民は木偶のために、命を投げ出したことになってしまう」
もちろん昭和天皇は木偶ではなかった。木偶ではなかったからこそ"不快"感を表明したのである。と考えると、次の結びの文がすうっと腑に落ちる。
「一般の日本国民が敗戦国としての国家義務を引き受けざるを得なかったのは、たまたま日本国民として生まれたからに過ぎないのであって、敗戦責任や開戦責任があったからでは断じてない。その文脈を無視して、日本国民の戦争責任を云々するのは、何かの陰謀でなければ悪い冗談であろう。それに引きかえ、昭和天皇はいかなる形であれ、ついに戦争責任をとらなかった。これは政治的な判断でもなければ、私の個人的な感想でもなく、歴史的な事実に過ぎない」
この文はもちろん“不快”発言が明るみになる前に書かれたものである。しかし、“不快”発言をどう見るかという一つの解釈になっている。
右側の人たちの間では、天皇の発言に関する今回の資料を「ねつ造」とする主張も出てきているようだ。まあ、気持ちはわかるがそれは単なる「期待」と言うものだろう。ただ、天皇の発言が事実であったとしても、この発言をもって昭和天皇の戦争責任を否定しようとしたり、靖国問題に政治的に利用しようとしたりするのは間違っている。
昭和天皇が晩年にそのような発言をした。ただ、それだけである。
一人の人間というのはいつも首尾一貫した生き方をするわけではない。社会情勢が変わり、受け取る情報が変われば、考え方も変わる。正義のかたまりのような人物でも年をとれば自己保身に汲々とする。朴念仁みたいな人でも、すてきな女性が目の前にあらわれれば心かき乱される(あんまり関係ないか)。たった一つの事実で人物全体を評したり、ましてや政治判断をしたりすべきではないのである。


北東北三県(青森、秋田、岩手)。いやな事件が立て続けにおきる。
明日はまた東京へ。朝早く弘前を発つ。

06/7/26 (Wed)

と言うわけで、昨日の学部長の講演の演題は「現代日本の教育の諸側面」。とてもよい話だった。
詳細を紹介することはできないが、講演の最後は教師論だった。
「教育内容や教材こそ教師と子どもの関係の根幹である。したがって、教師は専門的な内容に関する研究をしっかりしなければならない」
ところで、昨日の附属小学校の研究主題は「学びの力を育む授業改革 〜協同追求を通して〜」
明らかに方向性が異なる。思わず古い古い論争を思い出した。
「実質陶冶か形式陶冶か」
最近の教育実践研究はあまりにも形式陶冶に傾いていないだろうか。その原因は「学び」という言葉にあると私はにらんでいるのである。


06/7/26 (Wed)

今日は、附属小学校で公開研究会が行われている。私は音楽の研究協議会のコメンテーターという役割。午前中授業を見て、同じキャンパスの中にある官舎に戻って休んでいるところ。ゲストに迎えていた全体会の講演者が急病で来られなくなったため、我が佐藤三三学部長がピンチヒッターを務めることになった。結構楽しみ・・・。ちなみに学部長のお名前は「さんぞう」です。

事後報告・・・いい話だった。

06/7/24 (Mon)

信州大学助教授の論文盗用とねつ造。
なぜこれまで気がつかなかったのか。採用時と昇任時に論文を丹念に審査すればわかっていたはずである。推測だが、声の大きな人が是とすればまわりの人も黙認する。空気が支配していたのではないか。
それでも、信州大学は自浄能力を発揮して、きびしい処分を出した。しかし、別のケースではみんなで隠蔽工作をしたり、告発した側が逆に攻撃されたりする場合もある。信州大学のような事件がおこる土壌が、残念ながら大学には残っている。

06/7/24 (Mon)

・吉澤純夫『音のなんでも実験室』(講談社BLUE BACKS・800円)
楽器の音が鳴るしくみ(発音原理)を教えるのは、大学生に対してもかなり難しい。この本には、音をできるだけ目に見えるように工夫した実験が紹介されている。授業づくりの参考になる。もう一つおすすめはフリーソフトの「サウンドモニター FFT Wave」の使い方がでていることだ。これだけでも役に立つ。

・加藤徹『貝と羊の中国人』(新潮新書・720)
貝とはお金すなわち有形の文化を表し、羊とは主義すなわち無形の文化を表す。中国人はこの二つの文化をたくみに使い分けると言う。このような観点から中国の歴史や文化を見ていった本である。なるほどなるほどと思う。ただしあくまでも文化の違いについて述べたものであって、中国人や中国政府の悪口を書いたものではない。むしろ、中国と仲良くつきあうにはどのすればよいかという提案に見える。


大相撲名古屋千秋楽。朝青龍−白鵬は白鵬の勝ち。13勝2敗は横綱に準ずる成績。横綱にしてもいいような気もするが、一場所くらい待っても良い。本当に力があれば、来場所なんとかするだろう。・・・といいつつ、最近話題になる力士が外国人ばっかりなのだが、少しも違和感がなくなってしまった。

06/7/22 (Sat)


青森県深浦町

19(水)〜20(木)は東京に出張していた。東京にもたいていはランニングシューズを持って行く。
池袋に泊まったが、この時にはたいてい次のようなコースをジョギングする。
東池袋−明治通り(北へ)−旧中山道(庚申塚・とげ抜き地蔵尊)−巣鴨駅−白山通り(17号線)−不忍通り−護国寺−東池袋
朝早い時間だが(朝6時頃)、巣鴨のとげ抜き地蔵尊(曹洞宗高岩寺)前はすでににぎわっている。
観光客ではなく、地元の人が日課として参拝に来ているようである。境内への入り口でじっと手を合わせている人もいるし、本堂の前で手を合わせている人もいる。地蔵さんの頭に何度も水をかけている人もいる。いいなあと思う(むかしは、寺など見向きもしなかったのだが)。
私もついでに手をあわせる(おい! 違うだろう)
護国寺は真言宗の大きなお寺である。本堂までは合計で約60段ほどある階段を登らなければならない。
ここでは、お寺の本堂の中でお勤めがおこなわれていた。さすがに中に入るのは躊躇したが、少しお賽銭を入れて手を合わせる(おいおいおい!)
来週末もまた東京出張である。


日本経済新聞のスクープで、昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感。
メモに嘘や誇張はないらし、内々に語ったことだから少なくとも1988年の時点での昭和天皇の考えがそのまま現れていることになる。
昭和天皇は自分とA級戦犯との間に明確な一線を画していたのだ。自分の戦争責任もA級戦犯ほどにはないと自覚していたことになる。
政界への波紋に関しては共産党の志井委員長の次の談話が正しいだろう。
「わが党は、「しんぶん赤旗」に掲載した論文「首相参拝と“靖国”派の要求」などで、“靖国史観”を信奉する勢力の目標が、まず首相に靖国参拝をさせ、それを政府の閣僚の全員と三権の長を勢ぞろいさせる行事に発展させ、さらには天皇の参拝を実現することで、「日本の戦争は正しかった」とする自分たちの戦争観を、公認の日本の国論にすることにあることを、明らかにしてきた。(中略)昭和天皇が、一九八八年、靖国神社のA級戦犯合祀に「不快感」を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と語っていた史料が明らかになったことは、“靖国”派のこのシナリオと目標が、破綻(はたん)したことを意味する」(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-07-21/2006072101_01_0.html)
ただし、続けて「“靖国”派の要求に応じて、参拝をくりかえしてきた小泉首相の主張に、道理がないことを、いよいよ浮き彫りにするものとなった」とするのは言い過ぎである。これでは、「昭和天皇の心にしたがえ」と言っているようなものだ。従来の同党の主張とも異なるではないか。
逆に“靖国”派のほうが、妙に冷静である。「あの人が、あの方が言われたからとか、(参拝が)いいとか悪いとか言う問題ではない。誰でも自由だ」(小泉首相談話・読売新聞)。内心穏やかではないが冷静を装っているのかもしれない。またスクープが日経であったことに対して、中国との関係改善を願う経済界の意向を反映したものだと語っている国会議員もいた(TBS計朝ズバ!で渡辺克美代議士)。あたっているかどうかは別だが、今回の発表に誰かの思惑が反映しているのかも知れない。
これをA級戦犯の側から見ればどういうことになるのか。「あなたをお守りするために私たちはすべての戦争責任を引き受けたのです。あまりにもひどいではありませんか」ということにならないか。おそらく二・二六事件で処刑された青年将校たちと同じ気持ちになったろう。
割り切れない気持ちでもやもやしているが、結局今回の一件を見ても、また歴史を見ても、天皇を利用しようとすると、とんでもないしっぺ返しがくるということは確かなようである。

文部省が行ったアンケートの結果
「音楽を学習すれば、私は、明るく豊かな生活ができるようになる」
中学校3年生「そう思う+どちらかといえばそう思う」の合計が55.4%、「そう思わない+どちらかといえばそう思わない」が35.3%。小学生よりも前者が下がることを問題視する意見もあるが、私は少しも問題とは思わない。音楽によって明るく豊かな生活ができる場合もあれば、音楽が明るく豊かな生活の障害になることもある。それが実際のところである。そういうことを学ぶことも音楽を学習する意義の一つである。この程度の数字でむしろよかったと思うのである。
逆に、この結果が100%になるような国には住みたくないし、私が音楽の教師だったとしてもそういう結果になるような授業はしたくない。できれば50%、50%がちょうどよいのである。


ひねくれ教育事典 【こ】
こうこうやきゅう(高校野球) たかが高校生がやることを、天下の公共放送が1日8時間以上もぶっとおしでチャンネルを使い、新聞は毎日2面を使って報道するような国が、世界のどこかにあったら教えてほしい。高校野球、合唱コンクール、吹奏楽コンクール。全国で同じ時期に同じことをしている。大事な青春無駄にして!

06/7/17 (Mon)

6月12日のこの欄(過去ログ15)に次のようなことを書いた。容疑者が逮捕された時に書いたものである。
「秋田の小学生殺人事件。弘前から電車で1時間くらいのところで起きた事件である。
殺人の動機は? まだまだ不明だが、私はある恐ろしい推測をしている。あまりにおぞましいので誰も口には出さないが、100人中99人が同じ推測をしているはずだ」
100人中99人の人が今、「やっぱり」と思っているはずである。ある人の説によると、常に自分が劇の中心にいたいという人格障害の一種だそうだ(もちろん責任能力はあるのでこれを理由に罪が問われないということはない)。そう考えると、すべての謎が解けてくる。しかし、どうして長女の事件が起きたときに警察は動かなかったのか。この時に警察が動いていれば第二の時間はなかったのだ。この事件では、警察の責任も問われるだろう。


この連休中も走っている。少しずつだが体重が減ってきた。

高知にいる息子夫婦から送られてきた写真を2枚

かわゆい姉妹です。

06/7/15 (Sat)

国立教育政策研究所のホームページに全国学力調査=正式には「特定の課題に関する調査(国語,算数・数学)」の結果が出ている。
国語は、たぶんA先生が中心になって、問題を作ったり分析したんだろうな。全体が報告されているので、ゆっくり読んでみたい。

昨日書いた文はあまりにも、ひどい文だったので、書き直した(あまりよくなってはいないが)。

06/7/14 (Fri)

大学生に小学校の授業を観察させる。とくに児童を中心に観察させると、児童が授業中に挙手をするかどうかに注目するようである。そして、大きく分けて挙手をする児童は、学習に対して積極的であり、挙手をしない児童は消極的であるという評価を下すことが多い。
教師が発言させる児童を特定することを「指名」と呼び、挙手をした児童を指名することを挙手指名と呼んでみる。
学生が授業を見て挙手指名しか見えていないのは、学生が挙手指名しか見る力がないのか、観察した授業を行った教師が挙手指名以外の指名をしないのかどうかわからない。いずれにしても、学生たちは挙手指名こそもっとも一般的な指名の方法だと考えているようだ。しかし、挙手指名とは実は特別な場合にしか使えない一方法に過ぎない。
挙手指名が使えるのはどんな場合か。挙手指名は、次のような児童の両方が存在することを前提とする。
A 発言できる児童または発言したい児童
B 発言出来ない児童または発言したくない児童
そして、その場合、教師は発言出来ないことや発言したくないことを教師が容認していることになる。
授業の中である児童が発言できないことや発言したくないことを容認できる状況とはどのような状況か。それは、教師がどうでもよいことを発問している場合である。本当にその発問が重要ならできるだけ全員に発言させたいはずだ。
教室で、教師の発問が終わるか終わらないかのうちに一部の児童が「はい」「はい」と我をあらそって挙手している状況を想像していただきたい。ほとんど考える時間も必要としない発問に対して、反応の早い児童だけが「はい」「はい」と手をあげる。
こういう授業は、たいていはつまらない授業である。授業の導入時の準備運動くらいにしてほしい。
私は、大学生に対してですらこんな指名の仕方はしない。だいたいは次のようにする。
1 発問する 2 一定の時間を与え考えをノートに書かせる 3 できるだけ全員に発表させる(時間がない場合は列指名する)
小学校には、いまだに挙手指名にこだわっている(挙手指名という方法しか知らないわけではないだろうに)教師が多い。不思議だ。

06/7/13 (Thu)

『現代教育科学』8月号の特集は「「あの戦争」を子どもにどう語るか」
巻頭で5人の社会科教育の研究者の方が提言をされている。そのうち4人の方に私は面識がある。
森脇孝治氏は、扶桑社の教科書を「とうてい受け入れがたい」解釈と批判したあと次のように結論づける。
「歴史教育は本来教化とならざるをえない。それを避けようとすれば、歴史による社会(科学)研究とするか、解釈にこだわるなら、論争学習、解釈批判学習とし、個々の子どもによる解釈を支援するほかはない。後者にするなら、解釈が対立する教科書は絶好の教材となるのである」。これは矛盾していないか。「とうてい受け入れがたい」解釈も、論争学習の教材に成りうるのか?
安藤豊氏、吉永潤氏は、読まなくてても内容はわかる(苦笑)。
おもしろかったのは永田忠道氏の「「理想・理念」と「取引・談合」」。この方は我が元同僚である。
永田氏は朝日新聞の「現在の国際関係を脅かしているのは理想の喪失ではなく、理想を高く掲げ、自分の抱く理念を疑おうとしない態度である」という文を引用し、「「あの戦争」を子どもに語るときに、当時、どんな物事が理想として高く掲げられて、理念を疑おうとしない態度が、どのようにして形成されていたのかを考えさせたい」と言う。そして戦前の教科書の記述を紹介しながら、「このように高く理想を掲げ、自分の抱く理念を疑わせない態度の形成は、戦前や戦中のわが国では、ある意味において見事な教育的効果を成果として残した」する。そして、現在についても次のように言う。
「確かに掲げる内容は大きく変わったが、依然として、別の理想を高く掲げ、自分の抱く理念を疑おうとしない態度の形成は様々な場で継承されているように感じる」
当然次のような疑問はおこる。理想、理念を語ると言っても、強制力を持つものが語るのと持たないものが語るのでは違うのではないか。また、「理想・理念」と「取引・談合」を対立的に捉えるのもどうか。実は理想・理念の裏に取引・談合が存在しなかったのか。しかし、理念・理想を疑う態度の形成は重要だと思う。とくに教育界自身に。



そろそろ、大学は学期末を迎える。最終週には期末試験が行われる。
昨年度前期の大人数の科目の期末試験での話。
試験開始後30分したら退出してよいことにしていた。したがって、30分以上遅刻したら、試験が受けられない旨を学生に伝えておいた。
受講生が300人もいれば、中には30分以上も遅刻してくる学生がいる。ある女子学生が遅刻してきて、「どうしても受けさせてほしい」と泣きついてくる。仕方がないので、「試験とは認めないが、解答用紙に記入をするのは認めましょう」と言って、着席させ解答させた。もちろん、たとえ満点でも単位は出さない。
試験が終わって、その女子学生が私のところに来て言う。
学生「先生、どうしても試験として認めてもらえませんか」
私「ダメダメ」
学生「どうしてダメなのですか」
私「途中で退出した人から、あなたが問題を聞かなかったという保証はないでしょう」
学生「ぜったいにそんなことはしていません」
私「そうしなかったという証拠があるかね」
学生「私の答案を見てもらえればわかります」
私「えっ・・・・・それじゃあ、・・・・・・試験として認めても同じだろう」
学生「それもそうですね、えへへ」
私「・・・・・・・」
明るくてたいへんよろしい。しかし、単位は出さなかった。

06/7/12 (Wed)


職場の気のおけない同僚と飲んだ。たのしかった!
それにしても、N先生は一滴も飲まないのに、コーラとウーロン茶だけで楽しくつきあってくれる。こういう人はすごいと思う。

06/7/11 (Tue)

「研究ノート」に「音楽活動と音楽学習」という記事を書き始めた。関心のある方はどうぞ。


「基礎ゼミ」という一年次生向けの基礎科目を持っている。昨日は14回目の授業で、次回の最後の授業は個人面談をする予定だ。
15人を担当している。全体的に大学生らしいよい目つきになってきた。女子の中ににまだ高校気分が抜けないのはいるが、ひどく濁ったつかれた目つきをしている学生はいない。少し安心している。

最近こっているのは、蕎麦屋で酒を飲むこと。
蕎麦焼酎を蕎麦湯で割って蕎麦を食う。うー、たまらん。

今、11キロ走ってきた。体重が増えているので少し苦しい。それでも昔を私を知っている人は信じられないだろう。
そういえば、私がたばこをやめたのが2000年7月2日。走り始めたのはそれからである。もう6年になる。
なぜたばこをやめたか? こればっかりは言えない。知っている人は知っているのだが・・・・。もう、遠い幻の世界のことである。

06/7/10 (Mon)

東京マラソン2007が来年2月18日(日)に行われる。東京の道路を開放して行われるはじめての市民マラソン大会である。
この大会を実現させた関係者のみなさんの努力に感謝したい。
フルマラソンは定員25000人。コースは次の通り。
東京都庁−靖国通り−飯田橋−皇居前−日比谷−日比谷通り−品川−日比谷通り−日比谷−銀座−浅草−銀座−東京ビッグサイト
エントリーをしたが、6月現在でもう申し込みが30000人を超えているそうだ。当然抽選ということになる。
私の予想では、申込者は100000人をこえるのではないか。祈るような気持ちで抽選結果を待つ。・・・その前に体重をへらさなきゃあ。

06/7/9 (Sun)


東北新幹線盛岡駅にて。八戸行き「はやて」(手前)から秋田行き「こまち」が切り離されたところ。


東京への旅行。最近はもっぱらJRを使う。飛行機だと緊張するからだ。要するに臆病なのである。
東京−弘前間の最短時間の列車は次の通りである。

下り 
はやて7号 東京発( 8:28)-八戸着(11:31)
つがる7号 八戸発(11:38)-弘前着(13:07) 
上り 
つがる24号 弘前発(14:29)-八戸着(15:58)
はやて24号 八戸発(16:05)-東京着(19:08)
どちらも4時間39分である。これだと、東京の行きたい場所によっては飛行機よりも確実に早く行ける。飛行機だと空港への交通や搭乗手続きでけっこう時間がとられる。これから弘前への旅行を考えている方は、列車でどうぞ。


とは言っても、やはり東京−弘前間は長い。昨日は退屈しのぎに、西村京太郎の小説を読む。
駅の売店でタイトルにひかれて手にしたのが『男鹿・角館殺しのスパン』(徳間文庫・590円+税)。
読んでいてちょっとムッとする。
弘前の大学のラグビー部で悪友だった二人が、弘前公園の西側にある「野の庵」という老舗の蕎麦屋で悪事の相談をする、という場面が出てくる。
「弘前の大学」というと、時代設定から見て弘前大学しかない。それにラグビー部のある大学も弘前大学しかない。まるで弘前大学はひどくワルの集まる大学みたいではないか。またラグビー部は悪の運動部みたいではないか(怒れ・ラグビー部)。さらには、「野の庵」という蕎麦屋も実在する。蕎麦もうまいのだが、私はちょいといい思いもした。そんな店を悪の相談に使うなよな、西村さん。まあ、十津川・亀井のコンビにここの蕎麦を「うまい」と言わせているので救いようはある。それにしてもこの小説の事件の中心は秋田の男鹿・角館(おが・かくのだて−これも知っていないと読めないなあ)である。なぜか、このワルの二人だけが弘前に関係があるのだ。この設定はあんまりじゃない?
ところで、この本の巻末に西村の全作品のリストがついていた。今年5月現在で399作品らしい。家で調べたら、自分は100数冊持っていた。処分したものも相当あるので、半分の200作品くらいは読んだのではないか。ただし小説の中身はほとんど覚えていない。小説に描かれる列車や各地の情景の記述が好きで読んでいるだけのような気がする。